夕方、スーパーで酒と酒菜を買って空を見上げたときは、未だ晴れていて向こうの山には確かに白いものが目立ったけれど、果たして予報どおり雪になるだろうかと、思いながら歩いた。風もない。一月にしては、温かだと思う。橋を渡り、角を曲がる。子供がボール遊びをやめて、戸を開けるのを見送る。ポケットの中で鍵をまさぐりながら。
家について一番最初にすることは、電気をつけること。それからエアコンのスイッチを入れる。pcを起動する。立ち上がったら音楽プレイヤーをクリックして、ランダム再生を選択する。リンゴスターの間の抜けた声。ビートルズ『イエローサブマリン』。
・・・・・・・。
舌打ちをして「とばす」を押す。
次にかかったのが、YMOの「アブソリュートエゴダンス」。人工的に加工された沖縄民謡のリズム。いいぞ、と思い卓に酒と酒菜を並べた。
YMOの音楽は決して、ファンキーではない。音楽におけるファンキーさとは、要するに譜面上にない演者による「微妙なズレ」がかもし出すものだと思うから。
しかし、リズミカルなこの音楽は、それでも僕の体を揺さぶる。興に乗って酒を飲み、酒菜をつまみ、舌鼓を打ったが、程なくしてなぜか気がそがれる思いがして、箸が止まった。その時は良くわかんなかったが、ふとキリンのせいだと思った。
キリンが何もかもを台無しにしているんじゃないか。
と、一度でも思い出すと、それは幾らでも肥大した。いや、キリンのせいじゃないだろうと思いたくって、思った。が、やはりキリンのせいかもしれないと心のどこかでは、そう思っていたし、多分、実際そうに違いなかった。
気分を変えたくて、音楽を変えてみたりした。スティーブンライヒ『十八人の音楽家のための音楽』。しかし聴いてみると、この音楽はいかにもキリンじみている気すらして、最悪の選択肢だと思えた。単調に続く管弦楽のミニマムなリズムは、普段ならすばらしく心地よいが、そのときの僕にはいかにもキリンの、あの意味不明な斑斑点を想起させたし、それになんとなく音楽全体がキリン調だなと、ふと思ってしまったのもいけなかった。
いったい僕は何を考えているのだろうか。
ヘ長調だのハ長調ならまだしも、キリン調だなんて聞いたこともないのに。
それで、また「とばす」を押した。
するとまたリンゴスターのまの抜けた声が聞こえて、実際それはビートルズの『イエローサブマリン』だった。
ああ、イエローサブマリン。こいつこそがまさに、僕が今陥っているキリンに対する執着の元凶ではないか?いや、実際そうに違いない。何なんだこの音楽は。あのキリンの間の抜けたヌボーっとした風体、それからヒョロヒョロとしやがって、かっこつけているようで、実際はすごいダサいくせに、高い木の枝の葉とかをむしゃむしゃ食いやがる。・・・・様な音楽じゃないかこれは。
僕は衝動的に音楽プレイヤーのを消して、それから友達に電話をした。
友達の待ち受けの音楽は、ザ・スマッシングパンプキンズの『1979』だった。素直にいい曲だと思った。携帯越しのチープな音が良かったのかもしれない。良いなと思った。三回くらいイントロがなって、その人が電話に出たとき。僕は「もしもし」という言葉を聞くよりも早く、「ビートルズって世界で一番ダサいばんどだよな」と、言った。
そ の人は「うーんよくわからないけれど、『アクロス ザ ユニバース』はすごい良い曲だと思うよ」
といった。
The Beatles - "Across The Universe" (Outtake)
僕は何も返さずに電話を切ってビールを飲んだ。それから寝て、翌日窓を開けると、雪が積もっていた。
・・・・・・・。