今日は雨がずっと・・・
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まあ、タイタニック号の遭難についていまさらあたしがシッタカしたところで、有名な事件ですからすぐに底が知れるてのは、蠍座の・・・火を見るよりも明らかなのであって。
故にここではウィキペディアを紹介するとどめますが。
タイタニック(RMS Titanic)は、20世紀初頭に建造された豪華客船である。
処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人(他に1,490人、1,517人、1,522~23人など様々な説がある)であり、当時世界最悪の海難事故であった。その後、映画化されるなどして世界的にその名を知られている。
先達て、宮沢賢治についてちょいと触れまして。
まま重複しますが、宮沢賢治についてあーだこーだ書き出したは良いが書いても書いても一向にまとまらず、ケンジ・ムカンジゴクとでも申しましょうかな。一向に終わらない言葉の羅列の中で、うんうんうなされていた訳でして、まましゃーあんめいと熱さましに銀河鉄道つながりで、アニメ版の音楽を担当してらっしゃった細野春臣さんに取っ掛かりを見出してついてほんの触りをと、記事を書いた。ナニブンあたしゃ学の無い人間でありますから、レポートだ論文だと、論を筋道だって明瞭に構築するのは、苦手だと・・・・。だからまま、アプローチの仕方ってえなりますと、てんでチリバラな意見の羅列を無造作に繰り出しながら、まま、じわじわと。徐々に外堀から埋めてゆくってぇ・・・まま、そんな感じで以下。
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くだん、このタイタニック号の遭難て事件があった時、賢治はまだ十六歳の少年であったと。
グローバルだグローバルだと今日日、わんさと耳にしますが、別に昨日今日に始まった話しではなくて。当時も立派なグローバル社会、世界規模で縦横十文字、密接に繋がっており、各々の関係性をお互いに補完しあっていたんですな。
蛇足ながら少し補足すると、今日日のグローバルは新自由主義と言うのでしょうか、国の垣根を越えて鮮やかに立ち回っていこうぜってな感じなのに対して、当時のグローバルはよりナショナルな・・「ウチんトコは石炭取れるけど、寒いし毛織物とか無理だからそっちに依存するわ」みたいな、各々の特性を生かした上での相互依存状態だったと・・いえ、もうこれ以上書くとボロが出ますゆえこれ以上書きませんが、まま、そんな時代の。
世界各国を結ぶ交通網の花形が海運であった時代。そんな折の大事故でありますから、まあそいつは世界中に衝撃を。 日本でもかなりセンセーショナルな話題として、新聞各社がこの遭難事故を大々的に取り上げた。思春期の賢治少年にこの事件がどれほど衝撃を与えたか、あたしは知りませんが、しっかし、なにがしか思う所があったらしく、年月を経て書いた『銀河鉄道の夜』には(べつにそれと明記されていないが)、あたかもタイタニック号の遭難を下敷きにしたような描写が出てくる。
「いえ、氷山にぶつかって船が沈みましてね。わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国にお帰りになったあとから発ったのです。私は大学へ入っていて、家庭教師で雇われていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです。船が氷山にぶつかっていっぺんに傾きもう沈みかけました。つきのあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉(く)れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子供たちや親たちやなんかが居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこのお方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らをおしのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれが出来ないのでした。子供らばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気のようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸(はらわた)もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮かべるだけ浮かぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずうっと向こうへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板の格子になったところをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからとも無く (約二文字分空白)番の声が上がりましたたちまちみんなはいろいろな国語でいっぺんにそれをうたいました。そのとき俄(にわ)かに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入ったと重いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年亡くなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく舟からはなれていましたから」
賢治て人は、当時非常に人気のあった国柱会という日蓮宗系の在家団体に属しておりまして、とっても熱心な仏教徒でありましたが、例えば内村鑑三の弟子であったキリスタン斉藤宗次朗と交流を結び、『春と修羅』の原稿を見せその感想を乞うたり、思想面でも影響を受けるなど、原理主義的に、かたくな一途に法華の道を歩むと言うよりは、むしろ(なんと言うかその辺が如何にも芸術家的だなぁなんてあたしは思ってしまうのですが)、まず自分の理想とする世界像が漠然としたイメージの中にあって、それを具体化するための手段として、宗教と言う先人たちの紡いだ知恵を利用し、それへ近づこうとしたのではないでしょうか。ムロン、仏教徒としてのコダワリもあったでしょうが、
・・・って、いうか、賢治は宗教家として評価するには自己表現が過ぎるんだよね。
うーん。まあ、あたしは日蓮宗徒の考えには暗ろう御座いますゆえ、特別な根拠はこれと言って・・・ナントナクそー思うと、ええ、個人的にただそー思うと、言うに留めますが。
表現と言えば、上に挙げた引用文。沈み行く船の上で、混乱の中せめて主人から預かったこの幼い二人の命種だけは助けてやりたいと思いながら、しかしどうしても他の人を押しのけて救ってやる事が出来ずに。救いとは何か?本当に正しい事とは・・見せ掛けだけの幸福ではない本当の幸いを、自分や幼子二人にもたらす為にと、我欲を跳ね除け命つれづれ寒中の暗い海にのまれて沈んでゆく大学生の描写は、何度読んでも、ぐっとくる。素晴らしい一節でありますが、十六歳の多感な少年賢治がこの事件に触れ、やがて年月を経て自分自身の表現行為の題材としてこれを取り上げようと思ったときに、その底になる資料を当然参照したのでは?と、まま、手前勝手に推測するなら、当時はラジオもネェ、テレビもネェ、オラの村にはデンキはあったかもしれないですけど・・って世界中がそうだったわけで、メディアの最先端と言って、新聞と相成ると。
当時の新聞記事をごろうじろ。
これも文字数の関係で、リンクをはっつけるに留めますが。
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本当の幸福とは何か・という問いに、賢治は見せかけの、利己的な欲に捕らわれない、もっと広い・・宇宙的・・・いえ、宇宙的と言って、なにが宇宙的かあたしには分からんが・・・いわば宗教的四次元世界からのと申しますかそんな視点から見た幸いみたいな事を考えていたのではないでしょうか。「一人はみんなの為に、皆は一人の為に」・・みたいなね。
そういえば、『農民芸術概論綱要』にて
「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於いて論じたい。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏みまた教えた方向ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。」
と、ある。
それが正しいか・・いえ、理想としては正しいのでしょうが・・あたしは。
うーん
と、思うところで。いやはや、現代人として生きる業の深さ。罪深さだろうか。
これについて書き出すと、また文章が肥大しますゆえ、またいつかに。
さもありなん。
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さあさて。
・・・賢治がタイタニック号の遭難事件に心惹かれた理由として、楽団のエピソードがあるのではないでしょうか。
「沈み行く船の中で、乗客の混乱をそれでもせめて最小限に抑える為に、自らの命もいとわず、最後まで賛美歌を演奏し続けた」
と。
これは、非常に有名なエピソードでして、かの『タイタニック』という、ジェームスキャメロン監督の手による、非常に大ヒットしました映画にも取り上げられており・・・って、あたしゃ観てないですから、らしいですとそれ以上の言葉も無いわけなんですが、極限状態における人間の理性の勝利・・・つまるところ人間らしさですわな。人間らしさとされているもの・・獣・畜生じゃねーんだぜ、アタイらこれが存在意義でまんねん。てやんでい、すっとこどっこいが。こちとら一粒の宝種。「理性」ってものがありまんねん。見下すネェ。っへ。・・ナニ?お前さん理性ってのはナンボノモンじゃと・・・タワケルなこのすっとこどっこい。んじゃ、よろしいか?今からあたしがこの理性ってやつをおまはんに、噛んでほぐすようにねんごろに聞かっしゃるから、三歩下がってあたしの影は以来踏むな。・・・・おいおいおい、散歩じゃねーんだよ。犬を連れて方々巡るってんじゃねーんだ。ふらふらしなさんな。
よろしいか。
生物ってのは、数多といて。これ皆本能で生きている。皆腹が減ったら飯を食い、出したくなったらブベラババとな。摂理じゃ。これが、まま生物のあり大抵のあり方じゃな。だが、この理性を宿した人間と、まま、あたしらがそうじゃが、まま、これとなると、そーならん。腹が減ったと、しっかし最近どーにも食いすぎだからちょいと我慢するかと・・これじゃ、この本能の趣きのまま行動するのではなくて、全体を見通した筋道を立てて、その結果、場合には本能の行動様式から外れた選択肢も選ぶ事が出来る・・と、これがりせいだっちゃ。
酔って候。
そして、この本能を制御する「理性」、いわゆる人間らしさってやつを、生存本能といういわば動物における究極の摂理にあがなってまで押し通した人間的、あまりにも人間的とされるこの話しは、当時から「実に天晴れ。人間の誉れである」と、しきりに褒め称えられた所で。確かに感動的である。世界中が幸福にならない限り・・・と信じた賢治の、自己犠牲による理想的な「本当の幸せ」と言うテーマとも、非常に親和性が高い。と。
さて、話しはいきなり現代に戻ります。
ギャヴィンブライヤーズと言う方がおりまして。この方は、元々大学で哲学を学んだ後音楽を学んだと言う、コントラバス奏者で。またまたウィキペディアのリンクをはっつけますゆえ、ここではこれ以上の説明は省きますが。
この御方が、ライフワークとされているプロジェクトに、『タイタニック号の沈没』てのが御座います。
これは、上にあげました沈没の際の楽団の話に基づいて、そいで、もし海の底に沈んだ楽団たちが、ほの暗い海の底で今なお死者の霊を弔う為に賛美歌を演奏し続けているとしたら・・・と言うコンセプトの元に、新しい発見などがなされるたび、またその発見を踏まえてまた新たな録音を・・という。
例えば新たな発見と言うと云々・・と語りだすとまた長くなりますゆえ。これもまた別の機会に・・・。
どうぞどうぞ、って熱湯風呂じゃねーんだけれど。いやいや、熱湯、地雷、罠の類ではござんせんで。あたしが心底素晴らしいと思える音楽ゆえ、どーぞご鑑賞ください。
Gavin Bryars - The Sinking of The Titanic excerpt TWI 922-2
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雨粒が、ビードロのようにぽっぺんぽっぺん と、ガラス戸を打ちます。
今日は外へ出る事も無く、いちにち本を読もうと。
窓をのぞくと空はほの暗く。
雨脚はやがて速く、こくかっしょくに硝子の向こうに積もって。積層の重みに耐え切れずしだれ落ちる雨だれがまるで深海のように深く深い向こう側。
いつか観た硝子の溶ける彫像細工の絵を思い出しました。
世界は緩やかに崩れ、分離して。
ぽっぺんぽっぺんと、その、ただただれ落ちる音だけが一律の、途切れなく続く反復にガラス戸を打ち続けるのでありました。
そんなもんなで、また次回。
追記
非常に面白い記事を見つけましたゆえこちらに
リンク先に紹介されている動画は二時間四十分と長丁場では御座いますが、ひっじょーに興味深いです。ただ惜しむらくは、無音なこと。ちょいと・・・飽きる。なにか音楽を・・・それこそ賛美歌でもと思いますが、その点この記事はダイジェストでぱーっと眺めて知った気になれる正にインターネットサマサマな・・やったねカアチャン。今日も浅い知識が一つ増えたヨ!てなもんやの塩梅でさらえますので、どうぞ。
かしこ