酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

実体を持たない自分の真実と、実態を望む世界との五つの乖離点 (ただの日記です))

 1

 相変わらず喉ばかりが、ゴワゴワといがらっぽくて。

 

今日は休日。

 

 だらしない顔で起きて、洗面台へ。顔を洗う。歯を磨く。日頃心がけていることは、出来るだけ鏡を見ないこと。鏡を見るなんて行為は、文明を手にした人間が得た最も業深いものの一つに入るのではないかと、常々思う。鏡を見れば、自分の今の状態がありありと映し出される。客観的に、または陶酔的に。

 

 向こうに写るだらしない、ぼさぼさ頭でこっちを眺める顔は、決まってよどんだ顔つきをしている。目の下のくま。むくみ。昨日は飲みすぎたか・・・白髪も増えたし鼻毛も出ている・・・ため息を一つ。こんなもんを眺めなければ、今の自分がこんなにも醜態を背負い込んでいるなんて事は認識せずにすむのだ。年をとるとイメージ上の自分と現実の、こうして鏡に映った実際の自分の乖離が酷くなる。人は常に変転を繰り返して・・例えば人間の細胞は数ヶ月で全く新しく入れ替わるのだという。情報だけを継続して、一年前の自分はそれ以外、物質的には最早他人も同然だと宣告されても、脳内に残る自分像はいつか見た更新されない自分・・いや、見ることもない、多分きっと存在しなかった架空の自分像を作り上げて、せっせと蓄積した果ての虚像の自分像が心の中にいる。

 

 しかし、目の前には・・・・

 

 

 いつからかずっと鏡と対決している。年をとるってことを、初めて具体的に実感したときから。

・・・鏡と対決したって、勝てないことは分かっているのだ。だからもう鏡なんて見たくないと思いながら、文明人として仕方なく鏡を眺めている。

 

 目の前に写るのは・・・もう、自分の知っている自分ではない。

 

 飲み込めない道理を飲み込む苦痛。

 

 

 

 そういえば先日先輩に

 

「なんか休みにばっかり雨が降るんですよ」

 

 と言ったら、

 

「そりゃぁオメェ、ヒガイモウソウよ」

 

 と、笑われた。

 

 

 喉以外は別にどこも悪いところはないし、ここんトコ何処へも出られなかったので。閉じこもってもつまらないし温泉でも行くかと、タオルをぶら下げて表へ出ると、見事な五月晴れ。なるほど、ヒガイモウソウかもしれない。

 

 3

 

 

 大昔、空を眺めるのがなんとなく好きだと言ったら、『空の名前』と言う本をくれた女の子がいた。嬉しかった。そのコの消息はもう判らないけれど、もう「そのコ」じゃなくなってるんだろうなーと思いながら・・・その本は今も部屋の本棚にあって、たまにもって出かけたりもする。

 

 「やあ、おっかさん。久方ぶり」

 

 「失礼ね」

 

  なんて、本棚からこの本を取り出すたんびに、ひさかた振りに再会したそのコとの会話をシュミレートしてみるのだけれど。

 

 でもでも

 

 同じ眺めるでも、ただぼさっとするよりも、「やあ。浮雲、徒雲、はぐれ雲・・・」と名前を呼んだほうが楽しい。それに言葉は世界を輪郭付ける。世界がより一層鮮やかになる。

 

 この本のおかげで、雨も前よりはキライではなくなった。色々な名前を呼びながら硝子越しに眺める雨は、楽しい。それでもたまに愚痴を言ったりする。ヒガイモウソウだっておこす。

 

空の名前

空の名前

 

 

 4

 行きがけに コンビニへより日焼け止めクリームを今年も買う。美肌って柄でもないからこっぱずかしいが、アトピーもちで一番酷かった頃先生に進められて以来そうしている。

 

 国道沿いの道の駅。湯代は六百円。

 

 広い風呂はやはり気持ちが良い。足まで伸ばしてやあ極楽と鼻歌でも歌いたくなるが、大勢が出入りするのでサスガにと自重して隅っこにいたら、湯船の真ん中で顔を真っ赤にしている親父が妙に神妙な顔つきで腕組みをしているのが可笑しかった。さながら赤入道山名宗全の如し。

 

 サウナへ入った。

 

 サウナで長時間がんばるのは馬鹿馬鹿しい。五分ほどで全身が十分汗ばんだと思ったらさっと表へ出る。外気を受けて、さっと汗が引いてもなお内側はほてっているから、その緩急が気持ち良い。わずかにそよぐ風でも、十二分に涼しく感じられる。

 そんな事を数度、繰り返す。ただあんまり頻繁に出入りすると、室内の温度を下げてしまい嫌な顔をされるので、注意が必要だ。

 しばらく露天で足だけつけて辺りを眺めるのも楽しい。

 

 最近はどこもお客を引くのに一生懸命で。打たせ湯だ冷泉浴だと施設ごとに色々な特色があるのが嬉しい。泉質も違い、サラサラしたのもあれば少し強いぷんと硫黄の香る湯もある。もっとも、肌が弱いのであまり強いのは好まない。

 温泉街というほどでもないが、山間に暮らすので、二十分ほどの移動を厭わなければ、いくつか選べるので、休みのたびにあっちこっちと場所を変えてみる。

 

 出る前にもう一度と思い、湯船につかると件親父、宗全公はまだ赤ら顔で陣取っていた。茹蛸のようとはまさか古い言いようだけれど、なるほど確かに茹蛸のような禿げ頭。目を瞑って、じっと泰然と。

 

  5

 

 湯から出て、帰って昼にするかと思ったが、せっかくの休日なので食堂へ行き蕎麦を取った。向かいの老夫婦がビールを頼んでいたのが羨ましかったが、まさか車を置いて歩くわけにも行かないので、泣く泣くこれを諦めて。

 

 国道沿いという場所柄か、いにしえのサービスステーションの名残を引きずり、入れ代わり立ち代りと回転率がものをいう、「はい、食べたらとっとと出てってね」といった向こう側の願望が透けて見える万事セルフサービス式の商いで、無論、蕎麦湯なんて悠長に食後の余韻を楽しむも気配りも、当然無い。

 

 こっちもさっし慌てて蕎麦をすすりふっと・・・

 

 見ると壁にポスターが

 

「山間の道の駅へようこそ!どうぞゆっくりと御くつろぎください」

 

とうたっている。

 

これを矛盾と見て取って追求するのは簡単だけれど、返って事がこんがらがる。建前と本音、コッチもそれをさするくらいの社会経験はあるし・・・と、腹に落として再び蕎麦をと向き直ると

 

「おまちどうさまでしたー」

 

の声。

 

ふっとふり返るに、かの老夫婦ビール二杯目のご注文。

 

あれあれ、あのポスターの文面を全くそのまま受け取って。・・ちがうんだよ。あのポスターと店員の動きのハザマにある真の意図を汲み取ってやるのが、本当のプロ、客としての専門家。ちゃーと食べてさーっと出ようジャン、それがスマートってもんさ。と、残りの蕎麦に取り掛かり、すっと立って食器を下げて表へ出た。

 

  果たしてどっちが正しいのか?

 

 7

 夜は豚しゃぶサラダと、ビールを飲みました。

 大好きな戸川順の『レーダーマン』を聴きました。

 

 


戸川純 / 玉姫伝〜ライヴ含有 / 05. レーダーマン

 

 ♪「どんなじょうほうもーみのがっさないが、じぶんとらえるぎのうはーないっ」


プリントされた記憶と自意識…