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酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

ポストモダン的文体を習得するための習作

私はかつて、かなり時代遅れの寺山修司信者であった。私はかつて、かなり時代遅れの寺山修司信者であったから、私が彼を知った時もうすでに彼は死んでいて、その事はわたしが彼に対して抱く敬愛の念と同等の憎悪を彼に対して持つ正しい理由になった。何故彼は私のいる今に今の言葉を生み出してはくれなかったのか。

私が寺山修司の言葉に感激した時、彼はもうこの世界にはいなく、私が呼吸をする度に聞こえてくる言葉は寺山修司ではなく『なんとなくクリスタル』だった。わたしはなんとなくナンクリが好きになれずに居たため、彼の言葉通りに書を捨てる事も街へでる事も出来ずに、 ただ怨念として彼の死を呪った。

私は私の大好きな言葉が、私の時代としての代名詞にならず、 ただ掘り起こすべく眠る教科書的な退屈な権威になり果てていることを呪った。

私は仕方がないので向こう十年は肉体労働に従事する覚悟だったが、最初の3日で聞いた言葉が「よう兄ちゃんやっってる?」だけだったので、失語症にかかり、二年と362日部屋に引きこもった。
と言うか、簡単に言うと私だって人並みに「我々はあしたのジョーである」とか言ってみたかったのだ。だが、それを言った所で最早一人言にしかならない現実に、一億総ハクチ化に、「よう、兄ちゃんやっってる?」にただ足元を見失ってしまっただけなのだ。

私はかつて私以外の誰かのために私が私自身で有ることを私に課せて来た。
私は私が私以外の誰かに成る事を私に許可しなかった。例えば矢吹丈ウルトラマンやデイヴィッドカッパーフィールドに成ることを夢見る事すら許さなかったのだ。

私は私以外の誰かが私の事で何か心配していないかが、常に心配だった。

そして最終的に私は私で有るために、私以外の何者にでもなろうと思うに至ったのだ。

それから私は脚本を私だけの為に書いた。「かつてヘスラー総統がはるか銀河系のかなたで伍長だった頃、就職難の若いメトロン成人は新天地開拓地球はメトロン星の生命線を合い言葉に続々となんとなく地球を目指した。」

から始まるスペースオペラだ。
私は自室である六畳一間の南側に置かれている本棚の中の一冊の本『進化論の本』をメトロン星の母星に見立てて、そこから対角線上にある私の自室の北側の洋服ダンス上から二段目の靴下ばかりが入っている小さな引き出しを地球に見立てた。そして私の自室全体を広大なる銀河系と位置付けて物語を始めたのだ。あくまでも田中康夫に知られないようにコッソリと。

しかし当時の私にとって、私の生活とはつまり銀河系全体で有りながら実質自室六畳一間が全てであったが、 同時に私の生活を維持する為に私以外のー

つまり

「以前私以外の誰かのために私自身であろうと努力し続けた私を未だに私だと了解し続けている人々との接触」

を行わなければならなかった。つまり私は金銭的に恵まれた立場にいなかった為に、何らかの形で金銭を得る必要が有ったのだ。

私にとっての広大な銀河系たる小部屋を一歩外へ出ると、そこには卑小なる世界が転がっていた。勿論私の心は、常に部屋に有ったわけだが。

一番最初に勤めた仕事は肉体労働と前述したが、そこを3日で辞めた後もどこかへ行けば「調子どう?やっってる?」が常につきまとった。

テレビをつければ「真面目なニュースんでどう?やっってる?」
大森市で一番晴れやかな大森デパートの屋上に浮かぶアドバルーンの文句。

「婦人服セールでやってる?」

近所のおばさんとすれ違えば「おはようございやっってる?」

69年婚前の処女率はパーセント。83年にはパーセント。
「やってる?」

「やってない」

私は当時童貞だった。コンプレックスでは無かったが、溢れる質疑にいちいち応答するのが嫌になるころ精神病院に入れられた。

当時の母と医者()の会話記録。

母「テレビを見る度にやってないと呟くんです」

医者(石田)「ほー例えば?」

母「あるニュースでソ連が軍備を拡大したと・・「やってない」」

医者(石田)「なるほど、他には?」

母「ドリフのコントで志村のボケにいかりやが突っ込んで「やってない」」

医者(石田)「カト茶派?」

母「いえ、ぺにも「やってない」」

医者(石田)「病気ですな」
母「ただデブには笑うんです」

医者(石田)「ブー派と・・(カルテに文字を書き込むペンの音)」
医者(石田)「・・わかりました。」

母「え!」

医者(石田)「マーボー豆腐は飲み物じゃありません。裏番組を見せると良いでしょう。」

母「でもぱーでんねんを見ても・・」

医者(山本)「え!」

私は3日間拘束されてロボトミー手術を受ける夢を見た。半面が青で半面が赤い非現実的な肉体を手にした私は一生童貞だろうと悲観にくれた。

荒れ野から山道へキカイダーは悲しい。

看護師(かつて看護婦と呼ばれていたもの)が寒々しい六畳一間の私の自室からフカフカベッドの鉄格子でコーティングされたやたら綺麗な部屋に案内してくれた時「良いかい。読み途中の小説が常に続いているとは思わない事だ」
と言って、鉄格子の錠を閉めた。ウインクをした。二人組の彼女たちは、続けて「活動停止が物語の終わりなわけなんかない」と宣言した。事実そうなった。

何故二人組だったのだろうか?多分私が不意に暴れるとでも思ったのだろう。

私はそれから文字通り完全なる引きこもり・・・じゃなかった引きこもらされになった。引きこもらされはつまり、自分の意識ではない。医者の意志だ。厳密に言うと山本ではなく石田の意志だ。

私は仕方がなく母親に部屋から『進化論の本』を持ってくるように頼んだ。この部屋には都合の良いメトロン星が見つからなかったのだ。どこもかしこも綺麗にシュガーコーティングされたジェリービーンズみたく生産性だけが至上な資本主義的毒に犯されて、雑多さのかけらも無い。洗濯屋ケンちゃんも裸足で逃げ出すモザイクの無さ。清潔感。頭が犯されて、緩やかな気狂いに襲われてるようだ。頭が、デジタル化するようだ。
「早く!早く進化論の本を」

私は叫び、血反吐を吐くより早く鎮静剤を右手に打たれて失神した。

翌朝気が付くと母親は私の部屋の東側の本棚に有る南野陽子の写真集を持って私の部屋を訪れた。進化論の本が進化して南野陽子になったとは到底考えられなかったが、母親の顔を見ると何も言えなかった。

仕方がないので南野陽子の写真集をこの部屋の南側、ちょうど鉄格子のはまった窓があるに置いて見た。当然そこはメトロン星ではなく、メトロン星人も現れない。ただ窓から見える景色には確かに生活の匂いがして、私は久しぶりに「どう?やっってる?」以外の声を聞いた気がした。
高校野球児達の声。
窓を眺めながら流したものは涙ではない。私はトイレへ行き、回覧に来た石田に南野陽子を取り上げられた。患者に悪戯な性欲を助長してはならないと言うのが理由らしい。

私は1ヶ月と半其処に居た。次第になれてくると、其処は外見の軽薄さを鼻で笑うほど圧倒的に中身の有る場所で、例えば私は本当にメトロン星人に出会った。私は私の脚本が、私の脳内で完結していて私以外の誰かと共有出来る物でないと知っていたから、実際本当にメトロン星人を自称する人(何星人だろうと)が現れた時には面食らった。

夕暮れ赤い空、遠く広がる群青色の街並みを病院の屋上から眺めていたときだ。彼は私の隣に足音もなく立ち、私は彼の存在すら気が付かなかった。
私は私が失ってしまった生活の音に耳を傾けていたのだ。

医者はかつて私が私自身であったはずの、生活の声を私が失ってしまった事を酷く嘆いた。確かに当時私はM65星雲やアンドロメダから送られてくる声は聞く事が出来たが、大盛り町21番地三丁目2の三から発せられた町内会長の声は届かなかった。

病織が有ったと言うのが正しいか知らないが、少なくとも私には自覚が有って、遠くはるか銀河系のかなたから聞こえる言葉が、実際は自分の心の底からから産み出されている事を知っていた。

ただ私は何が正しくて何が正しくないのか、私は宇宙からの声に聞いていた声を否定出来ないが、病棟の空のした、そこから広がる世界を眺めるにつけ、俯瞰的に人々の生活とリアリズムも確かに理解出来たのだ。


私にとって生活の音と言うのが、母体内にいる赤子の聞く母親の心拍音のように心地よく聞こえるようになった頃、私の隣にメトロン星人を感じた。風のせいだろう。雨音が遠くから近づくような、夏の夕暮れ時の風だ。むわっとして、一瞬かき混ぜられた空気が、雨を予感させる。その風に乗って香った彼の体臭は確かに人外の物で有った。

メトロン星人との初遭遇。私は最初一目彼をメトロン星人と見抜く事が出来なかった。私にとって彼は酷く青白い痩せぎすな、ヘロヘロのパジャマを着た北杜夫の怨念みたいな青年に映ったからだ。