コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

夏に聴く小島麻由美の歌。 スピッツカバー 『夏の魔物』 消え行く声の永遠に続く儚さ について

 

お題「夏うた」

 

 

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 1

 

 2002年だから、もう14年も前の事になる。当時僕は浅草橋のお風呂もないボロアパートに住んでいて、バーで働いていた。安月給というほどでは無い・・おそらく同年代がもらっている給料よりは、ほんの少しいい額をもらっていたはずだが、自転車で2・3分の所に銭湯があったし、それで不自由は感じていなかった。どうせほとんど家に居ないのだし、寝れれば十分だと思っていたのだろう。家賃なんかに金を使うくらいなら、その分幾らかでも飲み代に回したい・・・というのが本音で。

 

 その当時付き合っていた彼女はニートの女の子で、親との折り合いが悪く僕の部屋にほとんど同棲のように居座っていた。いつも焦点の合わない眼差しを空中に浮かべて、なにか考え事をしているようなその女の子を、決まって17時に自転車の荷台に乗せて、銭湯へ一緒に行った。仕事の出勤時間は6時過ぎだったから、一っ風呂浴びたあと僕は仕事へ行き、彼女は夜なべしてパソコンをいじったりゲームをしたり、テレビを見て、朝方僕が帰ってくるまで起きていた。めざましテレビが終わるころ、僕はたいていアルコールを飲んでいたけれど、たまにはアルコールを飲んでいない時もあって、そんな時は、なし崩し的な儚いセックスをして1日を終わらせた。

 

 

 2

 7月になって些細なケンカを原因に彼女は出て行った。出てゆくと言っても、どうせ「いずらい、いずらい」といつも愚痴っていた実家にしか行くところはないのだし、どうせすぐ戻ってくるだろなんて、考えていたけれど、8月になっても彼女は戻ってこなかった。

 

ジリジリと照る日に、時間がだけがすぎて。僕は仕事へ行き一人で銭湯へ行き、酒を飲んで寝た。

 

 そんな日々を過ごしながら、やがてうすうす感づいていた事――もう2度とあの子はこの部屋に来ることはないんだろうな・・という事実を、はっきりと認めたその日。僕は御徒町のレコード屋でスピッツの『一期一会』というトリュビュートアルバムを買った。なんで買ったのかは覚えていない。スピッツのファンじゃなかったことは確かだが、何となく手を伸ばしてレジへ持っていたのだろう。

 扇風機もない部屋は蒸し暑くって、僕は一人で小さいCDラジカセにそれをセットして再生ボタンを押した。誰もいなくなった部屋。普段決してしない掃除かなんかをしながらその音楽を聴いて、彼女の歯ブラシやナプキンとか、僕の使わないものを捨てていたような気がする。汗がまとわりつき、窓の向こうからセミの声が聞こえて、それがいかにも恨めしかった。

 

 何がいけなかったのだろう?とは考えもしなかった。ただ、今彼女が居ない事への理不尽さに、理不尽な怒りを持て余したりしていた。

 

 それで最後の小島麻由美の『夏の魔物』のイントロがかかったとき、僕と彼女と、それに纏わるその他もろもろの事が――例えばこうして恋愛の後始末をしている今のようなはみ出た時間すらも――静止して、ギュッと凝縮して、一瞬時間がそうやってつづまって、それから一瞬経ってまた何事もなかったかのように、世界中が動き出したかのような錯覚(?)を覚えた。


小島麻由美/夏の魔物(SPITZ Cover)

 癖のある小島麻由美の歌声はずっと変わらずに、眩しいくらいの儚さや切なさに満ちていて。僕は僕の時間と、歌や音楽や世間の時間とのかい離に戸惑いを覚え、全ての作業をやめてこの歌を聴くことくらいしかできなかった。

 

 「殺してしまえばいいとも思ったけれど、君に似た夏の魔物に会いたかった。」

  

 今耳で聞いたばかりの歌詞をそのまま口の中で転がしてみて。それで、もうあの子とああやって居ることは、2度と出来ないのだなと、思った。

 

 それから、波紋のように広がるギーターソロと一緒に、物事の時間がやがてまた当たり前のように動き出した時、音楽はやがて終わった。

 僕はそれから平静を取り戻し銭湯に行こうと思い自転車に乗った。後ろがやけに軽いな・・と思いながら自転車をこいだ。

 

 夏と言えばそういうものである。めまいとか不確かな錯覚が最も身近になる季節。

 

 小島麻由美からもう一曲。

 

 『ひまわり』


小島麻由美-ひまわり

 この曲も小島麻由美の眩しいくらいに儚い感じとか・・・一瞬でありその一瞬がまた永遠であるような刹那的な感じがよく表れている。

 

 

 

 

MY NAME IS BLUE

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