酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

 道端に転がる歴史の残骸を見て回る 小六石の場合

 

 つい先ごろやあ新年だおめでとうさんだのと、めいめい申し合わせて酒を呑み呑み アハハアハハなどと笑っていたら束の間、気が付けばもう盆を越して九月となりましたから、えー早いもので。光陰矢の如し・・月日の移り変わりと言うものは、あつという間でございますな。恐ろしいもので。

 この調子だと、アサッテ辺りはまた新年なんじゃないかなんて・・いや、そいでそうなりゃまた大手を振って酒が飲めるぞと。・・・まるで呑む事しか考えていない。酒飲みと言うものは実に意地汚い。何かしら切っ掛け、理由をこじつけては呑みに繋げよう、大義名分を得ようてぇ。目を皿のようにして、地面を睨んで往来に落ちている小銭をさらうようにして、酒を呑む算段ばかりを探っております。

 

 九月になりまして随分と涼しく・・過ごしやすくなってまいりました。皆々様方々へお出かけになるには、こんな塩梅の時分が一番良いのではないでしょうか。あたしもここんとこ休みと見ては原付バイクを駆って西へ東へと巡っておりまして。

 

 元来、歴史ってのが好きな質で。

 

 そいであたしも最初んトコは例にもれず合戦絵巻を、源平、南北朝、戦国、幕末とな。そんなもんを少年漫画かナンカと同じノリで、やや面白いと、心ワクワク胸ドキドキとそんな塩梅で楽しんでおりましたが。まあ、ああ言ったモノは確かに歴史の花形、檜舞台で御座いますが、と同時にまた別の方面から眺めるとそれは悲劇でもあるわけで・・と、そんな愁傷なことを年中思っている訳ではありませんが・・まま、色々と考えるにだんだんと志向がマニアックになってまいりまして、最近では民俗史、風俗史だなんてのに心惹かれて・・まあ、この辺りは頭に超が付くほどのミラクルド田舎で御座いますから、少しばかり道を行けば方々に石碑だのとそういった類のものがわんさと残っていると。それらを遠路彷徨い見て回るってえのが、楽しいなんて・・まあ実にマイナーな趣味があたくしには有るのでございます。

 

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 田舎道をそうやって巡っておりますとこの件どこぞの何某がこの土地を開いただとか、そんな郷土史にしか名前が載らない超マニアックな、いわばミクロ歴史学的な英雄の名前がいろいろ出てきます。

 

 例えばですが、ここに一つ例としてとある大岩をあげましょう。

 

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 これねこれ。

 

 ナンデスかなこれは。ナウマンゾウの巨糞ですか。

 

 いえ、そんなモンじゃ御座いません。

 この写真をご覧になすってあんさん、これが何かお分かりになりますでしょうか?いやお分かりになりませんでしょうな。ちょいと引きで、全体像なんてもんをホレ。

 

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 脇に停まっているボロバイクはアタシので御座いましてって、まま、そんな事はよーござんすが。

 

 これを小六石と申します。

 んで、この小六石とはなんぞや?て話になりますが。

 おや、なにやら由来を書いたと思わしき立札が有るじゃあーりませんかと。

 

 

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 曰く、こうある。

 

昔、武田家の家臣に「岡田小六」なる者あり。天文・弘治(四百七十年程前)の甲越戦争の頃、この地に小屋を構えて住居し農業のかたわら諏訪側の情勢を偵察してこの黒い石を目標にしてやって来る武田軍の使者に情報を伝える使命を帯びていた。(この道が中の棒道で、天文二十一年(1552)頃に作られたものです。後略

 

 

 しかし、おかしいではあーりませんか。

 

 あのな、甲越戦争とありますじゃろ。

 この甲越戦争と申しますのは、甲州武田家と越後上杉家の争い・・つまりかの有名な五回にわたる川中島の合戦及びその間に繰り広げられた権謀術策の数々。つばぜり合いの時を含んだ諸々の事を申すのでありまして、その頃諏訪と言うのはもうとうに武田家の領内である・・・と言うような疑問を家族に申したところ「そりゃぁ、あれだろ。諏訪ってのは武田家に侵略された土地だから、謀反裏切りを恐れてって事だろ」なる返答を御仕り・・・。

 しかしそれなら、この「諏訪側」と言う表記に違和感が残る。まるで一己の敵対勢力のような表記ではありませんか。そういう場合「諏訪側の」ではなく「諏訪領内の」とか、そういう表記にするべきだし、仮にこの文章を作成した御仁が、そういった言葉の機微に乏しく、なんか諏訪領内と書くより諏訪側とか書いたほうがカッコいいじゃんとか思ってそう書いてしまったのなら・・・しかしな、当時の諏訪家の当主はかの諏訪勝頼公で在らせられますぞと言いたい。

 諏訪勝頼公とはつまり後の武田勝頼の事である。この武田勝頼てぇ御人は、名門諏訪家の血を引く人間であり(信玄が諏訪家の姫をめとってできた子供。)本来武田家を継ぐのではなく、名門諏訪家を継ぐべく教育を受けた人間であり、更に挙げるなら、当時武田家の諏訪治世というのはつまり完全に当時の諏訪ってのは武田に呑み込まれて、第二次大戦で言うところのナチスドイツに対してのフランスのビシー政府のような・・とか、無理な例えを用いらんでよろしい。国民国家、愛国とかそういう概念のない下剋上、喰う喰われるの戦国の世で、大義名分たる血統の正当性を保ったこの治世は、それなりに説得力を持ったのでは?と考えると・・つまり何故諏訪の情勢をこの小六さんてオッサンが一々偵察していたのか、よーわからん。

 

 「じゃあ、あれだろ。本来甲越戦争において、上杉方の・・と書くところをついうっかり諏訪方のと書き間違えたんだろ」

 

 なる珍説現れたりも、しかしながらそれも・・と否を突きつけるその根拠は、この小六某なる人物が住んで畑を耕してって暮らしていた、この現在の地名で言う野県諏訪郡富士見町て場所は・・長野、信州てぇ国は大変広お御座いますから、これを一括りとするのはいささか乱暴な話でありまして。実際、この富士見町から川中島までは距離にして 百キロほどの隔たりが御座いまして。最前線からあまりにも離れている。農業のまにまに家内かなんかに「やあ、おっかあ。んじゃ、畑も済んだし。ちょうと今日のテイサ・・おっといけねえ社外秘だ。・・ちょいとソコイラぶらついてくらぁ」みたいな断りを入れて、007よろしくウロウロとするなんてなノリで、諜報活動・・ホイホイと敵方の情勢を探れるような距離じゃありませんよあーた。

 

 なんなんでしょうかね。インターネットで調べても、まったく情報が出てきませんな。

 

 よー分かりません。

 よー分からんから、面白いのですが。

 

 今度、日を見て郷土史資料館にでも、行ってみようかと思っております。

 

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 って、しっかし、いや、以下愚痴になりますが、この郷土史資料館てぇ場所が、まあ閑古鳥も閑古鳥でありまして、あたしが行ってあたし以外に人がいるところを見たことが御座いませんな。故に、この地方文化の活性化だとかそういった建前上最低限の予算を出しとけば良いんじゃないの?みたいな感じでささやかに生きながらえている施設と言うか・・行政から取り残されております故、まったく施設に居るのは受付のおばシャンばかりと。受付で幾ばかの木戸銭を払って「へへい。どうぞ存分にご覧のほどを。へーい」みたいなノリで、それでお終い。あたしがこうやって聞きたいことが有っても「あたしゃ知りませんよ」みたいなツンケンドンで取り付く島もない。

 

「じゃあ、ようがす」

 

 と後ろ背に、あたしの背中に滲む苛立ちを他所に、煎餅咥えてもう給湯室へお茶を取りに行くってんだから、悔しいじゃありませんか。

 

 「まったく、お湯が沸いてないじゃないの。やんなっちゃうよ」

 

 だってさ。

 

 もう少しなんかマシな人を置いてほしい。

 

 ・・・・・・

 

 追記

 

 後半部分に若干誇張した面があります