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酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

僕が雨を待つ理由と、雨音のない月夜の話

あたしゃ今年で齢三十七になりますが、つい半年ほど前までは自動車免許と言う物をもっておらんかったのですな。それでようやく一念発起して取りましたがいかんせんは社会人で。僅かな空き時間を利用しての教習所通いと、これがなかなかに難儀・・と、その辺の苦労話はいつか書いたか書かなかったかちょいと失念いたしましたが、まあざっと取得に一年はかかりました。

 ので、それ以前はアタシの足と申す物は、原付バイクのみ・・いやそれかお徒(かち)かと言った案配。
 故に一事が万事お天道様のご機嫌次第・・いかんせん行動が天候に左右される始末で、ですからあたしゃずっと昔っから雨って奴をまるで天敵のように忌み嫌って居ったのです。
 まあ誰も無条件にずぶ濡れにされる事を好む人は・・そー居りゃんせんじゃろ・・。

 こう車の免許を取得してそしてマイカーを・・まあ中古ですが、コレこうと購入いたしまして。いやはやマイカーてのは非常に便利なものですな。
 まず、天候に左右されない。
 あまりカーで出掛けてずぶ濡れになって帰ってくるなんて御仁は、そりゃぁ居らんでしょうから。
 そういや大昔、「ソ連産の飛行機は雨漏りがするから、皆傘をさして乗る」なんて冗談を聞きましたが、日本産のカーに関しましては、製品が確かであります故、その辺の保証もバッチリなのであります。

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するってーとゲンキンなモンで、あたしゃお出かけに際して天候と言う物をあまり気にせずとも良くなったモノですから、雨への憎しみもジネン重(カサ)が減りまして・・いやいやそれどころか・・まあ、以下描写は雨の日の一段だと思いねえ。

こう出掛けに際してふと寄ったPAなんかでお茶を飲んで居りまっしゃるじゃろ?

・・ぼさーっとですよぼさーっと。

 そんな無意識と意識の狭間のような所でお茶を飲んでいると、空から落ちる水玉が車の・・僕の黒い車の屋根とボンネットと窓と問わず無秩序に落ちますな。ランダムな雨音がこう打っては響き打っては響き、そして滲み消えてゆく。

 

 

そう言えば以前大好きなアンビエント・・ブライアン・イーノの事をちょろっと書きまして、それはエリックサティから始まった環境音楽の系譜で、サティの提唱した『家具としての音楽』という発想/思想に端を発しているなんてお話を、ちょいと打ったわけなんですけども、雨音と言って、環境音楽と言えば、かなりの環境音楽ですよ?・・

 もっとも音楽という定義をどこに設えて、どのように定義するかで意味はまた変わって参るのでしょうが、規制概念の解体という(ポストモダン的?)時代作業を経て聴く雨音というものは、実に環境音楽的であるし、いやそもそも環境それ自体であるし・・と、そう言えばアンビエントの定義として、「家具としての音楽」と言う定義とは別に、日本でいち早くアンビエントを取り上げ取り入れた細野晴臣御大は、それを定義して思想的概念とは全く別次元から純粋音楽的に「響きの芸術」と定義しておりましたが、するってーと、正にこのあたしの車のボンネットや屋根をランダムに打つ雨音の波音やたちどころに消え起こる静寂や、またその最中別から起こる波音の残響、滲み、揺らぎ、などをとって、これはマッコト響きの芸術他成らん・・とか一瞬思うのですが、しかしこれは全く芸術ではないんですよね。

 何故なら芸術というのは芸の術、技であって、たとえばスプリンターが百メートルをどれほど早く走れるのか?と言うのと同じように、作者がクオリティや精神においてどこまでその高みに達せられるかと言う、イヤもしくは健全なる動議からの堕落を欲したあの坂口安吾の如き下降か。まあどっちゃにせよ我々百億万凡夫に於いては到底達することの出来ない有る種の境地への憧れ・・いわんや超人願望へのはけ口であり故に成り立つ見せ物であるわけで、てーなりますと、雨音なんて代物は、全く非芸術であるのですが、しかし「芸術的」ではあるんですよね。

この、芸術的の的がミソ、キモ、脳天ズガイでございまして・・

と。ここまで書いてアタシの底浅い芸術論はさらに先へ続くのか、ネタはあるのか・・有ったとしても酒に脳髄ヤられちまったこのスポンジ脳で、勝手気ままめくるめくまま書いたお気楽文章の後先を、明日の自分は果たして覚えてられるのか・・等という懸念が多数生じますが、酔いが回りすぎた故、唐突にここらでブった切らせていただきます。

 


はてさて、思考は混沌を極め、自然界に上る月は、何時もと変わらないはずの月は今も窓の外より乱立する木々の、林の枝の脇から僕を怪しく照らします。月の大きさは何時もいつまでも変わらないと言うけれど、しかし目の前に広がる景色との対比によって、人の錯覚を持ってして相対的に大きく感じたりするモノらしいです。
 そして僕の窓から覗く月は、あの満月はなるほどいつもより一等大きく禍々しいばかりの光線を発し、その不確かな光明がやがて滲むばかりに揺れ動いて林の陰に隠れ消える頃、しかし窓を開け空を眺めてみても空には星も雲も一つとして無いのであります。

雨はいつまでも僕の元へはたどり着きません。

 故に最近はこんな動画をみています。

 『雨音』


【作業用BGM】雨の音*1