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酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

名画『永遠と一日』について。または 僕が雨を待つ理由と、雨音のない月夜の話2

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雨を待っている僕は、今もこうして窓の外から差し込む月光に照らされている。深夜二時三十分。木々の間から見える月は、やがてもう数時間もすれば、あの山の向こうに落ちるだろう。そうやって世界が少しずつ動いて、こっちが朝日に包まれる頃、この星のどこかはまた夜になる。

 

 ずっと遠い向こう側の話。

 

 今も見たことのないこの星のどこかの町で、知りもしない誰かはたぶん雨に打たれている。きっと忌々しい思いをしながら、空を睨んでいたりするだろうなんて事を空想してみる。

 

 ざまあみろ!!

 コッチは望んで雨を待って、それで全然降りはしないのだ。

 

 それで薄ら笑いを浮かべてテレビを付けた。Dvdプレイヤーを起動して、『永遠と一日』を挿入した

 

永遠と一日 - Wikipedia


Eternity and a day - Bus scene

お題「最近見た映画」

 


 1998年にギリシャ人の映画監督テオアンゲロプロスが撮影したこの映画は、かなり複雑な時系列で物語が構成されている。過去と現在が相当曖昧に行き交う。ただ、一つ決定的なのは、過去のシーンはいわゆるラテン的な晴天というか、かなりパキッと晴れているのに対して、現実/現在はいつも灰色で、暗鬱な曇り空か雨が降ってい描写が続くと言うことだ。

 

 これはブルーノ・ガンツ演じる主人公アレクサンドロの現在の身体の状況や、故に抱え込む精神状態を象徴的に表しているとも言える。もっともこのアレクサンドロはブルーノ・ガンツのままの姿で、過去の回想シーンもうろつくモノだからーそれは表層的には受け手に対してかなり不親切な表現でー、今が現在進行している映像が過去なのか現在なのか、ぱっと見判別に難しいという問題がある。

 

だからある友人なんかは「時系列の整理が不十分な、かなり抽象的な映画」と言う印象を抱いてしまっていた。

 いやしかし、よくよくこの映画を見てみると、本当は全然そんなこと無くって、例えば前述したように、過去の景色はかなり明るく現在は陰鬱であると言うような対比によって、今がどこであるかと言うことが説明されているのだが、例えば最近の映画は回想シーンにおいて、主人公を演じる役者に似た若い役者を立てたりするし・・つまり時系列と常識による認識で主人公を記号的に追うことによって過去や現在未来の見通しをすっきり受け手に分かりやすくしてやると言うのが、現在の映画のスタンダードだというのなら、それに慣れてしまった受け手合いにとってはこの映画の取った表現手段はかなり抽象的で解りづらいモノになるだろう。

 しかし、この映画においては、その表現の方がそれで尚的確だと思える。なぜな

 

ら主人公アレクサンドロは現在にいながら望郷のままに過去を彷徨っているからだ。故に過去の景色は常に晴天で光に満ちていて・・輝いている。
 冬用のうす汚れたコートを引きずりながら過去の景色の中で、晴れ渡った空の下向こうに満天の光浴び、広がる海を望み「魔法の世界!!」と詩人らしい歓声を上げる現在の老人であるアレクサンドロ/ブルーノ・ガンツの演技はなかなかに素晴らしい。

そのとき彼は、今の人でありながら、過去の人でもある。もっと厳密に言うと、過去を今の時として過ごしている今ではなく過去が主体となっている今に生きている過去に取り付かれた今の人である。

 

そう言う事ってよくある」

 

 そう言えば、この映画の制作者であるテオアンゲロプロスはいつも雨を待っていたという。雨が降ると待機させていたスタッフを呼んで「おい、出かけるぞ!!」と出掛けたそうだ。
 僕も、今日も雨音を待ちながら、そうやって自室で待機している。