コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

のんきに突き指

 突き指しました。右手・・いや、利き腕の人差し指って、まあ、使えないとなると地味に不便・・が故に地味にイラっとする・・が故に、が故に・・ってそれが溜まり溜まって「あーもうっ!!」ってそんなスポットでございますが。

 ・・だってさ・・いや、でも痛みとか無いんですよ・・痛くないけど・・だってさ指、曲がっとる・・元に戻らん・・って、たとえばあーた、あたしゃ今こうやってブンショ書くためにキーボード打っとります。打っとると思いねえ。えーそいで、いやはや打ちづらいたりゃありゃしねーでヤンノのとーとんちきってぇ・だってつっかえるからね。曲がってるからスラリとキーが打てねーじゃねーかコノヤロウバカヤロウ状態でして、そいで件「あーもうっ!!」ですよ。
 
 なんでかなぁ。
 
 思い返せば今から六時間とちょいと前でしょうか。
 
 あたしゃ頑固な汚れを・・世にはびこる頑固な汚れとして皆様思い起こすのが・・まあ黄門様や大岡越前/大岡忠相公よろしく「御主も悪よの」式の、云わば賄賂収賄汚職てぇところが相場でございましょうが、あのね、あたしが当時戦っていた世の汚れとは、シールの剥がし残りね。あの古いやつ。古くて黒ずんでいて、いかにも世間の業にしがみつきこびり付いているようなあのニクイ奴ね。あれがねーもう本当に落ちんのですわ。
 
・・まあ「のんきくん」なんですけどね。
 

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 のんきくんてーのは、まあ何ですな、そりゃ到底今時分のナウいヤングにはご理解頂けないでしょうが、「ナウいヤング」という死語をご理解いただける世代には、じゅーぶんご理解いただけるような古の漫画でございまして、こう野球帽のつばを後ろに回したな活発な(たぶん)小学生が主人公のギャグ漫画だったと思うのですが、まあ連載当時読者だったあたしをもってしても、帽子を逆さにかぶって何が「のんき」であったかと問われると全く答えようがないくらい忘却の彼方にありまして、当時買った漫画雑誌にたぶんその「のんきくん」のシールが付録として付いてきたんじゃないかと思われましてな・・そいで、幼きあたしゃ喜び勢いそれを壁に張り付け・それから幾年月よ・・今あたしの目の前にはかつてのんき君だったそのスッテッカーは長い年月の経年劣化と共に、やがて情を帯び怨念を帯びただ朽ちて行くだけの虚しさを覚えたか、せめて其処にしがみつかんと、まるで壁のシミのように黒ずんだナニかとしてじっと其処に張り付いていましたよ。なんか不気味な感じに曖昧なシルエットだけを残した糊のはてと化しながら。
 
 と、この壁の染み的のんきくんの残骸を眺めながら、あたしゃ数ヵ月前からこれをどげんかせんとイカンと、じっと心の底に思っていたわけですタイってアータ出身地はどこやねんってくらい日本語ぶれまくりながら、ままそーですな。
 云わばこの幼少より付きまとうこの壁の染み、かつてのんき君だった糊の残骸とシルエット、これはあたしの半生のイコン象徴であり、すなわち現れであると。
 例えば呪い(まじない)と言う作業が御座いますな。何でもよー御座いますが、これは基本「同じ形ものは同じ形の物へ不思議と影響力をもつ(転写する)」と言う発想からなっておりまして、例えば超初歩的な藁人形に五寸釘なんて物は、よーはこの原理の最初期の発想で、対象者と同じ形のもの・・この場合は対象者を模(トレース)した四肢を持った藁人形を作り、それを対象者と見立てて一生懸命に我が抱えている怨念をその対象者と見立てた藁人形に打ち付ける事で、「同じ形のものは同じ形のものへ不思議と影響力をもつ」という不思議の法則をもって、今目下相手に自らの怨を伝え影響力をもとうようとしている事に相違ないわけでありまして、さらに話が進むとその藁人形に今打ち付けている念/苦痛がそれでも対象者へ効果無いとなるとやがて応用編として相手の髪の毛とかより同じ形のものを求める傾向が強まると・・と、これがさらに話が進みますと、我々が現在持っている科学知識とは別領域の科学知識と申しますか・・科学知識と申すと語弊が生じますので世界認識と言葉を変えてみるに・・例えば道教における祭壇というものです。
 
 たぶん、先に「ナウいヤング」という言葉の意味をご理解いただけたあーた方には懐かしく馴染みのあるかのキョンシー映画で、ゾンビたるキョンシーに道士はお札なる紙切れをえいやと額に張り付け・・するってーとあら不思議とばかりに、先まで暴れまくっていたキョンシーはいとも容易く従順に従うままに従順蒼白ボーイになってしまったではないですか。
 これはなーんでかっつーと、無論このお札に不可思議な力が宿っているからじゃあーりませんかと、それは相違ございませんが、ではその不思議な力がなぜ宿るかと言われますと、まず儀式にはいる前に祭壇を組みまして・・この祭壇ってーのが世界の雛形なわけであります。よーは先にあげた藁人形呪いと同じ発想で、件呪いにおいて藁人形は対象者の雛形であるように、この場合の祭壇はなんと世界というか宇宙というかこの世そのものの雛形でして、「同じ形式のものは同じ形式の物へ影響力をもつ」という不思議方程式のもと、祭壇にエイヤとある行いをするとあっというまに世界にも同じ現象が起こってしまうんですねーこわいですねー。
 ってあのお札は、よーはその儀式を封じ込めて持ち運び自由いつでも使えますよとポータブル化したようなものでして、細かい融通は効かない・・・だからキョンシー映画でも門東に肝心なときは、道士がちゃんと祭壇を組んで術対決したりするでしょ・・・ってかなり簡略した説明で、道教に関してはもっと・・実務を請け負っている鬼神であるとか、その上司である神々であるとか、色々めんどくさい説明が必要だが、べつにこれは道教の説明ブログじゃ御座いませんので、まあ興味がある方は各々御勝手に調べていただけば宜しゅうございまして、あたしが今言いたいのはこの
 
「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」
 
 というこの発想ね。
 
 上の道教の説明を読んで「んなアホな」と思った方も案外この発想を自然としてたりしませんかね?
 
 しませんか。
 
 あたしは結構普通にこういう発想を目にしますね。
 
 例えば(超ベタですが)、唐突に、不自然に靴紐がほどけた「うわっ・・縁起わりっ」
 
とか。
 
 この場合、唐突に靴紐がほどける=不自然なほどけるという現象が「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」故に、なにか結ばれていたモノがほどけてしまうのではないか?という不安に繋がる訳でして、スムーズに纏まりかけてた商談の破談ですとか、仲睦まじい恋人達の別れを予感させるなんてのが、ままよく聞きますわな。
 
 人が「なんか縁起わりーな」とか言うとき、洋の東西を問わず(でかく出たな)、だいたいこの発想が肝にあるような気がします。が故に呪いとして上のような進化を遂げたんだと思われますが、それはまた別の話で・・。
 
 って、そいでのんきくん。
 
 
 このシールが子供の頃から使っているタンスに貼ってあるってー事は、勿論ずーと認識していたんですよ。子供用の小さなタンスで。今は細々したものしか入れてませんがなぜか愛着があって、ずーっと使っている物ですから。
 景色のように普段全く気にすることの無かったこのかつてのんきくんだったシミのようなあの残骸を、しかしある時改めて認識し直したとき、あたしゃなんかこれが不吉の予兆であるかのように感じられたんですよね。
 
 なんなんでしょうか?
 
 それは、「縁起わりーな」であり「同じ形式のものは同じ形式の物へ影響力をもつ」でありまして、それがどう「同じ形式の物へ影響力をもつ」かはわかりませんが、なんかこの縁起の悪さ、災いの元っぽいかつてのんきくんだったこの黒ずんだシミを除去してしまう方が良いと考えまして・・さかい、あたしゃ、むきんなって擦ってましたよ。云わば右手の前後運動。エロじゃないです必死です。
 したらさ、ある瞬間。
 
 その擦っている対象物に対して人差し指が(右手)がまっつぐに入りましたな。へいせい人間つーか人体ってのは良くできているもんで、逃げるんですな。こうUの時にすらーと流れに沿って力を逃がすみたいなことが、自然と、塩梅として心得ているはずが、その時は対象物をTの上の横線と捕らえたときのたて線のごとき垂直に入っちまいやがって、あーた、したらさ、そりゃエネルギーが後ろ指にぐいっとつんのめって、体内のドコかにエネルギーを逃がす逃げ道の算段を講じますでしょて事で、あたしの右腕第一間接がその人柱と・・まま、そんな感じでずれてんです。
 
 
 なんなんですかねーのんきくん。
 
 のんきくんはあたしに何をさせたかったのでしょうか?
 
 「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」故の結果として、あたしは今右手を突き指しとります。

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指が落ちて戻らないの図