しかし、世に上る話題ほど馬鹿馬鹿しいモノも御座いませんな、どこぞのハーフタレントが・・とか、元野球選手がなんぞ。そんな話を聞くたんびに、それに乗っかり騒ぐ人々を含めての・・全体のさもしさを目の当たりにするようで・・しかしなんで御座いますかな、例えば落語なんぞも大衆文化で御座いますから、発生当時は、もしかしたら今時分ネタに乗っかってわちゃわちゃと騒ぐマスメディアと同等程度の、いわば先に言う「さもしさ」みたいなものを、ノッテケノッテケ根性を原動力にして、活動していたのかもしれません。それがこっち百といくばかか年月を経て。時間と言うものにさらされて熟成されましたが為に、「いんや、なんとも面白いし、趣があるねぇ」なんて、そんな評価に変転したとなると、いや実際物事の本質とは、一体なんなんであろうか?なんて事をふと思ってしまいます。
有名な般若心経というお経に
「色即是空 空即是色」
と有りますが、これをあたくし流に、今の話題の内で超訳するならば、
「ありとあらゆる物事に、本当の意味や価値なんぞは無い。が故に・・無いが故にありとあらゆる状況においてそれに適した意味や価値となりうる」
って、なに言ってんだこいつ。
まあいいや。しっかし、ハーフタレントや野球選手ときたか。結局そんな話題にのっかるあたしも、まあ十二分に世の仲間。さもしさ構成員であることは疑いようがないなって。やったね母ちゃん、あたしもこれで世の一部。ってぇ・・・茶を濁して、さあ今日も落語の続きを書くのであります。
前回の続き。
えー、前回はとんだ事になりましたな。少しあらましを紹介しすれますれば、雪見を終えて数日後の昼食にて、料理番が「殿、本日の御所望は」と聞いて、これを受けた殿様が「にゃあ」と一言猫かいなと。「はあ?」とは立場上言うことが出来ない料理番は、「はは」と返事を返しそのまますごすご下がりまして、さあ「にゃあ」とはナンデアルかってな検分にかかったが、一向に分からない。さあどうする料理番、あわや切腹か。
と、まあちょうど良い塩梅のところで引きました。ちょうどテレビで言うと、コマーシャルが始まる寸前の、あおり文句が画面にでーっと出るような。それで今回へと。
ではでは。
「にゃあかー。うーん、にゃあであるかー」と、脂汗浮かべながら腕組みして神妙な顔つきで部屋にこもって唸っている・・と、その変な声をちょうど通りかかった三太夫さんが聞きつけます。
「おお、どうされた留太夫どの」
「ああ、三太夫殿か。実は困ったことになりもうして。いや、先ほど殿に御所望の一品はと、お伺いに上がったところ、にゃあと申されるのじゃ。まさかにゃあと言って、猫を召し上がるとは思えぬし・・」
「あははにゃあと、そう仰ったか。・・いや、しかしこれはいささか問題であるぞ」
「なに?貴殿はそのにゃあとやらをご存知か?」
・・って、これ、大の大人がにゃあにゃあと、全く、なに言ってんだって話ですが、まま、続きが御座いますゆえ。
「いやあな、先日、ほれ、あの雪がよく降り積もった日があっただろう。あの日に、殿が忍びで雪見にと申されるので、お供いたした。それでな、下々の集まる煮売りやに入られて、そこでねぎまを召し上がったのだ。いや、殿においては、拙者からどうぞこの事はと、御内密御内密と口をすっぱくして頼んでおいたが。まあ、滑らしたのが貴殿でよかった。にゃあとはねぎまのことだ。どうだ謎はとけたろう」
「あいやかたじけない。そうであったか。いや、貴殿のおかげで命が助かった。では早速に取りはかろう」
それで万事が飲みこめたものと、料理番さん。名前が出てきたから名前で呼びますが、留太夫さん。早速手配をやり、葱・鮪を到達いたします。
って、ここで薀蓄を一つはさみますけど。
昔、マグロは「シビ」とそう呼ばれていたそうです。語源は判りませんが。んで、お武家さんの間では、武家、侍ってのは合戦が本業ですから、これを死ぬ日、「死日」と言って、嫌がったそうです。しかし今時分でもそうですな、ジーパンをデニムと呼んだり、スパゲッティをパスタと呼んだり、使い古された言葉は、新しいワード言葉に置き換えて、洗練しなおして活性化するって流れが御座いまして。やがて「しび」も「まぐろ」と名を変えた。江戸中期の頃らしいですが、その辺りから、まぐろもお武家さんから少しずつ親しまれるようになったみたいです。
って、あーもう今日は。この辺でいいか。
って、よくない。
ちょっと重大なことを書き忘れていた。
エー
こちらで
当ブログの紹介を預かりまして、身に余る光栄と申しますか。はってはられてはりかえされてって・・・そりゃビックリマンって・・まあ、なんだかよくわかんないけど、いやあちゃしゃうれしやハッピーだぜと。驚き、桃の木山椒の木、てな塩梅で、いや口不調法故にうまい謝辞を申し上げられませんが、ほんと、本当にうれしかったです。どうもありがとう御座いました。