コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

墓場で運動会をしてみた

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 その晩もいつも通り床に入ったのですが、喉が妙に渇いて。明日も仕事があります。早いので少し我慢して、このまま眠てしまおうと、目を瞑ったままじっとして居りましたが、渇きのことばかり気になって。眠れないまま暫くの後、仕方なしと観念して台所へ立ったのです。蛇口をひねり、流れる水をコップで受けます。薄暗い蛍光灯の灯の下に、水が朗々と流れ溜まるのを見ました。

 

 床へ戻り、ふと柱時計に目をやると、いつもならとっくに眠っている時間で。秒針のこくこくと刻む音が。僕はその音に、明日の仕事の事を思い出し、片付けなければならない事などが、いっせいにうわっと頭を巡ると、もう何としてでもこれで眠らなければならんと、そう思い、もう、とにかくもう眠ろうと念じ固く瞼を閉じれば閉じるほど、秒針の音は、耳の奥、頭の隅々まで響いて、気になってならないのです。

 

 汗がじっとりと。

 

 十二月の夜の事です。寒さを逃れようと、厚くかけた布団はそれでも普段、いささか肌寒さを覚える位なのに、その夜に限っては、むしろ熱いくらいで。

 

 それから、また、喉の渇きが。

 

 仕方なしにため息をついて、また台所へ立ちます。蛇口を開けて、水を飲む。テレビをつけると、その日の最後のニュースがやっておりました。

 

「十二月十四日。夜のニュースです」

 

 と、アナウンサーが。見る気も起こらずテレビを消し、もう一杯水を飲みました。

 

 そんな事をしている間中も、あの秒針の音はちくたくと。普段なら気にならない位ささやかな音は、しかし、今では明瞭に、僕の耳に届くのでした。

 

 2

 

 やがて、ぼーんぼーんと、柱時計が短針の一つ進んだことを告げた。

 

 当時は、実家に住んでおりました。

 

 ・・と言っても、僕の姉夫婦と両親は、同じ敷地内に建てた新しい母屋に暮らしていて、僕は一人でこの物置のような別邸に。この家・・別邸を建てたのは僕の曾お爺さんだと聞きました。狭い家ですが、当時はここが本宅で、普通にここで家族皆暮らしていたと聞きます。

  柱時計もそんな曾お爺さんの代からの名残で、ずっと其処にある物で。黒塗りの柱にじっと佇んで、いつも時を刻んでおります。

 

 寝返りを何度か。枕を使い、布団を使い、その時の音を消したいとやってみても、依然時間は当たり間のように進むばかりで。もう、三年前に止めた煙草の味を、ふっと思い出して、もう仕方がないから、煙草でも吸おうかと。

 この寝室には古い茶箪笥が二つばかりあります。普段使っていないものですが、僕が子供の頃、お爺さんがこの部屋で煙草をふかしていたのを思い出して、いくつか引き出しを開けると、やはり古いゴールデンバットが有りました。それを取り出し添えたライターはもう湿気て火が点きませんので台所へ。キッチンに立ち、前髪を焦がさないように、煙草にガスコンロから直接火をつけて、深く吸い込みました。

 

 久方ぶりに吸い込んだニコチンの。それが僕の頭をいくらか揺さぶって。また、蛇口をひねり水を飲みました。

 時計を見ると、もう二時をとうに超えて。しかし、一向に眠れる気のしない僕は、もう仕方がないと諦めて。ふっと、少し、気晴らしに夜道の散歩にでも行けば。・・三十分もそこらを歩けば返って気晴らしに。そうすれば僅かなりでも眠ることが出来るのではないだろうかと、そう思って。

 

 3

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 頭は朧に、「眠い」と言う感覚、信号を発しながら。しかし眠ることが出来ないまま。そうと諦めて、寝巻きの上にコートを羽織、マフラーを巻きました。スマフォと二千円とゴールデンバットをポケットに入れて。とりあえず、近場のコンビにまで。そこでライターを仕入れようと、ドアを開けると・・・銀河のかげ消え消えに、ただ月の世の・・その月すらも、広がる雲に覆い隠され朧に、不確かに。それと生暖かい。

 

 十二月の夜です。

 なのに妙に生暖かい風が吹いて。

 

 その風のぬるさに、返って。心が冷えて、冷たい汗が滲み出ました。

 

 コンビにまでの距離は一キロとありません。やがて辺り景色に一点浮かぶ LED電灯の人工的な燈り。車も無い広い駐車場に看板が。

 自動ドアが開き、中へ入ると店員は、

 

「らっしゃやせー」

 

 と、おざなりな挨拶を投げたまま見向きもせず、せっせと握り飯を棚に陳列します。棚からライターを取り、いっそビールでもと、ふとそう思ったのですが、考えてみればあとわずか数時間後には、仕事へ出なければならないのです。仕方なしに諦めて、それとお茶を求め、会計を済ませて店を出ました。

 十五分ほどの散歩。気分は先ほどより、いささか落ち着いたようで。往復で三十分程度、恐らくこれから帰ってまた床に就くのは四時を回っているだろうと。それでも三時間程度は眠ることが出来そうです。

 

 うつら気分で歩いているうちに、どこをさ迷い歩いたのでしょうか。気がつけば其処はあぜ道のような、道と言ってこれと印の無いような。そんな所を巡っていました。歩きなれた、本来迷うような道ではありません。ただの一本道を歩いていたはずなのに、何故こんな場所に居るのでしょうか。ズボンや風か、薄い枯れ草のこすり音が、まるで忍び音に泣く声のよう。

 

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 遠くを見ると、向こうに灯りが見えて。あれは先に買い物を済ませたコンビにだと、それに認めて一旦あそこへ戻ろうと、歩くのですが、果たして光は一向に。いえ、むしろだんだんと遠ざかる。雲に隠されまた現れる傾いた朧月の不確かな光線が、僕の影をゆらゆらと揺さぶります。

 

 灯りに向かい、あてどなく歩くうち。ふっと、息が引くようにその火が消えました。見回すと、住み慣れたこの辺りに、見覚えの無い空き地。枯れ草に埋もれておりましたが、等間隔に並ぶ小山と、そこに傾きながら立つ棒のようなものが幾つか。

 先から続く夜草のすすり音、泣き音が、もうはっきりと赤子の声のように。そう聞こえて。果たして、僕のズボンに擦れていたわけでも、風に吹かれ揺れていたわけでもなく、たしかにそれはあの盛り上がった土の、その山に立つ一本の黒い棒の、その根元から聞こえてくるようなのでした。

 枯れ草をわけ近づいてみると、それは長い風雪にさらされ朽ち果てた、もう文字すら認めることの出来ない色あせた卒塔婆なのでした。

 

 ぞっと寒気がして。

 

 もう一目散に駆け出したい、逃げ出したいと思いながら、しかし足が動かないのです。そこに立ち尽くしたまま、背中から湧き出る汗と、十二月の妙に生暖かい風と、傾いた月光に揺れる僕の影と。

 

 そしてその泣き音。

 

 

 明治十三年十二月十三日付けの民報日刊より。

 山田某なる男。暮れの挨拶に伺った先で歓迎を受け、主人との積もる話に時間も忘れ語るうち、気がつけば夜も深い。いとまをと腰を上げ、引き止める主人に

「なに、歩きなれた道ですから」

と断り、主人やむなく提灯を渡しこれを見送った。

 翌朝、その山田の嫁が訪れ、主人が帰らないという。村のもの総出で山田を探したが、見当たらない。
 それから、十年と幾ばかの年月を経て、果たして、その山田某は再び村へ姿を現した。ふらふらと山道をさ迷っている所を、村人が見つけ、通報したのである。

 駐在に保護され、直ちに山田の嫁が呼ばれ、検分するに間違いなく十数年前に不明になった亭主山田との事。
 駐在が、この十数年行方をくらました経緯をと問うと。この山田某は、皆に聞かされたが、本当にそのような年月が経っているのか。全く信じられないといった風に、語りだした。

 かいつまんだ内容は以下の通りである。

 一昨日の晩、暮れの挨拶を済ませて家へ帰ろうと歩いていると、変な泣き声が聞こえたので、何か困っている者がいるのではと、その声の方へ向かうと、空き地に出た。そこで子供らが運動会をしたいが審判がいないので困っていると泣いていた。おじさん審判をやっておくれよと、せがむので仕方なしに一日審判を勤め、赤組の勝ちを認めると、「ああ、うれしや」と、子供たちは姿を消し。それから気がつけば山中をさ迷っていた。家に帰りたいのだが、どうすれば良いのか困っていたところを保護されて大変助かった・・との供述をした。なるほど、確かにその山田某なる男、当時と同じ衣服で、持ち物も当時と変わらぬと、その妻が認めたのである。また見てくれも到底十と幾ばかの年月を過ごしたとは思えないほど、当時と全く代わりばえ無く。これを見て村人も皆口々に、不思議だと語り合っているのである。

 

 

 震える体を、なんとか正常に戻そうと煙草を吸おうと思いました。おぼつかない手で、煙草をくわえ・・・そうしている間、私は幼い頃枕元で、「お話をしてくれよ」とせがんだ・・まだ健在だった祖父に聞いた不思議な神隠しの物語を思い出して・・・

 買ったばかりのライターに、なぜたか火が点りません。指で何度もこすっても、ちっちっちと、火花を打つばかりで。風もなく、生ぬるい空気が淀んで、しかしそれが妙に僕の心に、冷たく感じられるのです。

 

 唐突にあの赤子の鳴き声が止んで、ライターの火がつきました。

 その火は、あの先ほどまで僕が一生懸命追いかけていた、あの灯りと全く同じように光っているのでした。

 

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 ボーンボーンボーンと、また柱時計が鳴って。目を覚ますといつも通り、いつもの部屋にしかれた布団の上にいました。針は七時を少し過ぎたあたり。

 

 変な夢を見たなと思いながら起き上がり、普段ならもう朝食を済ませている時間ですが、まだ出勤時間には余裕がありましたので、顔を洗い何か食べようとパンを焼き豆乳をグラスへ。テレビをつけ眺めると、何か変だなと違和感が・・・。

 見続けるうちに、アナウンサーが「十二月十七日の朝のニュースです」と、確かに言いました。

 

 「はあ?」

 

 昨日は、十二月十四日だったはず。寝る前に見たアナウンサーが、たしか夜のニュースですとか言っていた・・・はず。

 

 えっえ?

 

 え・・?

 

・・・じゃあ俺、二日ねっちゃったの!?

 

えーー!!

 

ありえねーじゃん。やばいやばい。

 

と、携帯を見ると、特に着信履歴はなし。

 

 えー普通、二日間も無欠すれば、さすがに電話あるだろ・・・と、戸惑いながら髭を剃り服を着替え、コートを羽織ると、ポケットの中に違和感が。昨日・・・いえ二日前(?)の吸いさしのゴールデンバットとライターが。それをテーブルに投げて、家を出ました。

 

 いつもと変わらない出社時間です。自転車で駅まで行き、込み合う人波に自分も埋もれます。スマホをいじる人、文庫を読む人、ショートカットの女子高生が問題集を開いているのも、赤いヘッドホンをした男から音楽がもれているのも。窓から流れる景色は、傘を持った子供たちの登校風景、雪のかぶった鎮守の社。

 

 全てが記録されたフィルムのように正確に、いつも通りに進行する中、僕だけが一人得体の知れない違和感を抱え。それに、上司にどう謝罪すればいいのかも、皆目見当がつかないまま空恐ろしい気分で、つり革につかまっていました。

 

 

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 7

 

 これほど出社したくないと思った日も無かったのですが、無常にも改札で同僚と出くわしてしまいました。二日も無断欠勤をした僕に、彼は

 

「おお、おはおよう」

 

 と、いつも通りの快活な挨拶を投げます。

 

 「・・・おお」

 

と、返事を返すと、

 

「元気ないな。具合でも悪いのか?」

 

・・・・・・。

 

 他に言う事、聞きたい事があるんじゃないかと思いながら・・・いえ本来は僕の方から言うべき事があるのですが、どうしても言い出せないまま、連れ立って歩きました。彼はいつもと変わらない話題を、進行中の仕事の事などを話し、僕も戸惑いながら相槌などを打っていると、やがて職場にたどり着きました。

 

 班長に会って、まずなんと言えばいいのでしょうか。謝罪も言い訳も思いつかないまま、班長の席へ向かいます。

 

 「あの・・・」

 

と言ったまま、後に続く言葉を捜していると

 

 「ああ、おはよう。どうした?」

 

 と、班長もまた、いつも通りの顔で僕を見ます。その反応が不可思議で、僕はまたそこから先の言葉を、続けられないまま其処に立ちすくんでいると

 

「俺、今日朝一で会議があってミーティング外すけど、頼むわ」

 

 と言いしな、僕の肩をぽんと叩いて班長は机を離れました。僕は、班長の中肉中背の後姿を呆然と見送りながら、何かがおかしいと思わずには、いられませんでした。

 

 ミーティング中も、実務に移ってからも、同僚や先輩の態度は全くいつもと変わらずに。午前中、心がけて平静を装いながら、心の中は不安と不気味さが、しんしんと降り積もる白雪のように満ちてゆくようで。それに不思議なことに、二日間休んでいたはずなのに、仕事は遅れる事無くきっちりと二日分、進んでいたのでした。

 

 果たして、僕は昨日一昨日と二日間仕事を休んだのだろうか?

 

 と、不意にそんな疑問が浮かびます。

 

 しかし、だとしても。

 

 

 昼の鐘が鳴って、食堂へ行きカレーを頼むと

 

「お前、昨日も一昨日も、カレー頼んでたじゃねえか。よく飽きねえな」

 

と、同僚に言われました。

 

 やはり、僕はどうやら昨日も一昨日も、出勤して仕事をしていたようなのです。

 

「な、僕・・昨日普通に仕事してたよな?」

 

「いや・・・・うん。別に普通だったけど。てか、なに言ってんだよ」

 

「なんか、変なこととか言ってなかった?」

 

「いや、ってか今朝からのほうがよっぽど変だよ。やっぱ具合悪い?」

 

「いや・・・大丈夫だけれど」

 

と生返事を返し、宙ぶらりんに浮かぶ疑問をの中。どうにかして昨日と一昨日の記憶を戻そうと、糸を捜すのですが、どうしてもあの墓場のような場所で、ライターに火をともしてからの記憶は、蘇らないのです。

 

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