コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

カメラを肩からぶら下げて

今週のお題「外のことがわからない」

お題「リラックス法」

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あぜ

 

 世にはびこる疫病は、未だ混迷の出口すら見えず、さりとて幸い体に不調はない。世間では外出の自粛が叫ばれ、また多くが店の門を閉ざしている状況。さて、そんな中での大型連休だった。

 平静なればこれと予定は無くとも、休みと聞けばやれ嬉やとはしゃぐ僕ではあるのだが。・・いやはや。これでは餌を眼前にぶら下げたままお預けを食らう犬の様出はないか。ふてくされたまま日夜寝暮らした。現実逃避・・・。

 朝起きればインスタントラーメンを茹で、本を開き行間でうたた寝へと。昼起きればインスタントラーメンを茹でテレビをつけては「つまらん」と呟きうたた寝へ。夜起きれば酒を飲みやがて寝落ちると言った有様。眠りの合間に万事の煩い(トイレや風呂等)を済ますという始末で。

 

 ・・・。

 

 そんな風にして連休も半ばを超して、逃避先の眠りにすら嫌気を覚えるようになってしまった。浪費するだけの時間の積み重ね。不健全さ、勿体なさ。もはやこの世界にも彼の世界にも居づらさを感じるようになった頃、部屋の隅で埃のかぶった一眼レフカメラがふと目がに留まった。(厳密に言うとカメラを入れた箱) 

 すっかり忘れていた。そういえばこんなの買ったっけか・・と箱から取り出してみる。除湿剤でぐるぐる巻きにしていたそのカメラは、しかしなかなか綺麗に思えた。

 

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線路

 

 僕には不定期ではあるが、なだらかな周期性を持って発症するある種の持病がある。それは「このままで良いのだろうか?病」で。これを一旦発症すると漠然とした焦燥感に一定期間とりつかれる。このカメラもいつだったか、そんな折に購入したモノだった。

 「カメラを趣味にしてみよう。別にプロになろうとか、そんな大業な志を立てるのではない。ただ趣味として、少し自分を広げる切っ掛けになれば・・」などと、微熱のような自己啓発欲求にとりつかれるまま勢いオークションで買い叩いた型落ち品。しかし物が届いたのはそんな病もとっくに冷めたあとであった。病み上がりの脱力のまま、ふふんと取り上げたカメラに、いささかの虚しさすら覚えた。またやっちまったか。毎度毎度の散在・・と。しかしせっかく買った物なのだから。と、家族を相手に戯れなシャッターを数回切った後、それで簡単に飽きてしまった。

 

 以来、放り出したままこの部屋の片隅にずっと有った。

 

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鉄橋

 3

 

 素人目には綺麗なカメラ。この厄災の中に有って、明日仕事がどうなるもわからない。現金はあってあったに越したことは無い。

 いっそ売ってしまおうかな?とも思ったが、中途半端に古い物というのは最も値が付かないそうで。方々売値買値を見て回っても二束三文以上の実入りは期待できそうにも無かった。じゃあ自分で使うかと思ったのにはいくつかの理由が有る。例えば上に上げた不毛な寝暮らし生活に対する反省という面。

 それから、この世界的混迷の中、大型連休と言って帰郷も叶わぬ旧友は、望郷の念をSNSで語りながら、今はほぼ缶詰状態でと皆が口々に愚痴る。じゃあ、もしよかったら、近所の写真を撮って送ろうかと、提案をしてみた。返信は果たして「求む」であった。

 

 それで、表へ出て写真を撮ることにしたのだ。

 外出自粛を叫ばれている昨今だが、僕の家の周りには誰もいない。

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流れる雲

 

4

 

 以来撮り歩いてみると、しかしこれが意外に悪い物では無いと気づいた。第一に運動になる。カメラごときの重さを持って、これを筋トレ等と称せるほど厚かましくは無いが、どうせ撮るなら撮るでせめて良い物を・・と被写体を求め歩き巡るうち気がつけば小一時間は歩いていたなんて事はざらであった。

 以前、別の「このままで良いのか病」にかかった折、思い立ってウォーキングなんて事を始めてみたあの頃が懐かしい。ウォーキング・・いやはやこれが全く性に合わなかった。というのが、ただ薄らぼけっと方々巡り歩いてみても、所詮日常生活圏の範囲内である。真新しさのかけらも無い。毎日の出勤ルート。買い物道。せっかくの休みに気ぜわしい仕事の事なんて思い出したくも無いのに、どうしても頭によぎってしまう。歩いている途中で「あ、トイレットペーパー切らしてた」なんて思い出して、帰りには買い物袋をぶら下げていたなんて事も多々有った。これでは只の健康的な買い物である。

 

 写真を撮り歩いてよかったなと思うことは、新しい発見が多かったことだ。

 ウォーキングをしてみた時と変わらず行動範囲は所詮生活圏内に過ぎないのだが、色々な所に目を配って歩いているので、ありふれた景色にも多彩な変化があることを改めて気がついた。昨日其処にあった物が今日はもう無い。花は咲きやがて枯れる。緑は色づきまた色あせる。雨が降りぬれた道に空が映る。その写った空に昇った日光がまた道を乾かす。風が吹き雲が動く。光は変化自在である。

 カメラを持っていない・・例えば只の出勤時間なんかにも、アレ?と思うことが多くなった。

 変化の中で生き、それを実感として安い型落ちカメラの中に封じ込める。

 

 人気の無い道の片隅で、そうやって暮らしている。

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田んぼ