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古刹へ参ずる9月半ばの或日。彼岸の頃。うだる夏が終わり、風が涼しさの中に冷たさを少し忍ばせていた。黄金に実った稲穂が少しずつ刈り取られて、賑やかだった田園風景はモザイク状に冬のさみしさも内包しつつある。アキアカネが舞って空は秋晴れ。中空に浮かぶ雲はゆるやかな鱗。
苔むした石段を登る。と、山門前閻魔座る。・・いや長く風雪にさらされとうに形(なり)を失ったその像を見て、はたしてこれを閻魔と認めることが出来ようか?・・と問われれば、なるほど強くはうなずけないが・・しかし右に杓子を持ちそしてその冠の形などを見るに、やはりこれは閻魔ではないだろうかと考えるのだ。
門前に閻魔。まさかこんな奇妙な配置を。・・閻魔と言えば大王である。いわばラスボス的存在・・それがこんな門前にいるとはこれ如何に?
しかしこれがなんとも面白い。そもそも閻魔大王とは死後の国の門番で。元を辿ればインドの神ヤマだという。冥界の王。
人は死ぬと生前の行いからかの王の裁きを受ける。その裁きにより善人であれば極楽へ悪人であれば地獄へと振り分けられるとされている。
今眼前にそびえる山門はいわば一つの結界で、さて其処ににまします閻魔の前を通り過ぎるとき、我々は良き行い悪しき行いの裁きを通過し門の向こう側へといでる。
石像は決して物言わぬ。かの閻魔の裁きを、絵巻物の伝えるような閻魔からの言葉としてこの聴覚で聞くことは決してないけれど。言葉は耳で聞くモノでは無い、体験を通して聞くモノだ・・なんて誰かの格言を思い出す。そしてこの門をくぐった先に広がる異界は果たして極楽か地獄か・・なんて想像を。
シュレディンガーの猫じゃないけれど、それは通ってみなければ分からない。でも、まるで死後体験をバーチャルリアリティ的に先行体験する・・この設えはそんなエモーショナルなイメージをこの門前の閻魔に仮託したのではないだろうか?
そして、僕は今この死の国を超え仏国土へ至るのだ。
・・なんてことを考えながら、この古い門をくぐった。
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そこから先。踏みあつらえた土道が続き、人の通らない処には草々がてんで勝手に伸びていた。風はない。そして再び石段。運動不足の体にこの歩きづらい石畳がこたえる。肩が揺れる。腹が震え体がおぼつかない・・それを履き古したジャックパーセルのかかとでぐっとこらえて登る登る。
そんなまにまに一瞬、ほんの一瞬だけ・・ちょっいっと世界が止まったかのように石段の向こうに秋景色が見えた。あの彼岸花の鮮やかな朱が。
石段を登り切った頃には肩で息をしていた。情けない。もう少し運動をしよう・・なんてことは間違っても誓わない。どうせ三日坊主になるのが関の山だし、なんせ後ろには閻魔大王さんが目を光らせている。ゆめゆめ安易なことは考えぬが吉だ。
参道の両脇へ向こうずらっと並ぶ石仏に彼岸花の朱が彩賑やかで。閑散としている山内もそれだけで活気をおびるようだった。
人が居ようと居なくとも、世界はそんな事関係なく向こう勝手に賑やかになったり寂れたりしている。そんな瞬間にわずかに立ち会う。いや、そもそも賑やかであるとか寂れると言うことですら無いのかもしれない。ただ世界は誰が見ていようが見ていまいがてんでお構いなしに変転し続けており、そしてそのわずかなタイミングに立ち会った僕が今その事に意味を・・解釈を与え続けている。
「お?賑やかだな。こいつぁ効果テキメンにちげぇねえ。家内安全・商売繁盛・色即是空、れいけんあらたか。南無阿弥陀仏」
「お?寂れてるな。こりゃぁ御利益の方ったってちょいと怪しいよ。見返りも少ねえなら賽銭も弾むめえ・・」
そんな塩梅に・・。
しかし、そんな事に実体は無い。ただ本人の心一念・・思い込みに過ぎないのだ。
さて、一旦居並ぶ古仏をそのままに、捨て置いて参道を進んだ。新しいあつらえの門がまた一つ見える。そしてここからがいよいよ七堂伽藍・・石段もずらっと目新しく、毘沙門天がお出迎え。向こう仏塔が建ち、その奥が本堂。さて本尊は(ここは曹洞宗であるから)・・恐らく釈尊であろうか?・・中に入るといちいち作法が面倒なので、挨拶程度に頭を下にする。
「今からこの境内、方々で写真を撮らせていただきます。つきましては色々とご厄介おかけすることもあると思いますが、その辺は何卒穏便に・・何卒何卒よろしくお願いします」
・・なんて勝手気ままな念(メッセージ)を一方的に送る。それで手前勝手な撮影許可を取り付けた。
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以下そんな八ヶ岳南麓の仏国土を撮った写真です。ブログには少し大きいかも。
上の写真は全て山梨県北杜市白州町清泰寺にて撮影させていただきました。
拝
文章は筆者の印象を元にしたフィクションです。