酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

のんきに突き指

 突き指しました。右手・・いや、利き腕の人差し指って、まあ、使えないとなると地味に不便・・が故に地味にイラっとする・・が故に、が故に・・ってそれが溜まり溜まって「あーもうっ!!」ってそんなスポットでございますが。

 ・・だってさ・・いや、でも痛みとか無いんですよ・・痛くないけど・・だってさ指、曲がっとる・・元に戻らん・・って、たとえばあーた、あたしゃ今こうやってブンショ書くためにキーボード打っとります。打っとると思いねえ。えーそいで、いやはや打ちづらいたりゃありゃしねーでヤンノのとーとんちきってぇ・だってつっかえるからね。曲がってるからスラリとキーが打てねーじゃねーかコノヤロウバカヤロウ状態でして、そいで件「あーもうっ!!」ですよ。
 
 なんでかなぁ。
 
 思い返せば今から六時間とちょいと前でしょうか。
 
 あたしゃ頑固な汚れを・・世にはびこる頑固な汚れとして皆様思い起こすのが・・まあ黄門様や大岡越前/大岡忠相公よろしく「御主も悪よの」式の、云わば賄賂収賄汚職てぇところが相場でございましょうが、あのね、あたしが当時戦っていた世の汚れとは、シールの剥がし残りね。あの古いやつ。古くて黒ずんでいて、いかにも世間の業にしがみつきこびり付いているようなあのニクイ奴ね。あれがねーもう本当に落ちんのですわ。
 
・・まあ「のんきくん」なんですけどね。
 

f:id:ytugatakewo:20180724195410j:plain

 
 のんきくんてーのは、まあ何ですな、そりゃ到底今時分のナウいヤングにはご理解頂けないでしょうが、「ナウいヤング」という死語をご理解いただける世代には、じゅーぶんご理解いただけるような古の漫画でございまして、こう野球帽のつばを後ろに回したな活発な(たぶん)小学生が主人公のギャグ漫画だったと思うのですが、まあ連載当時読者だったあたしをもってしても、帽子を逆さにかぶって何が「のんき」であったかと問われると全く答えようがないくらい忘却の彼方にありまして、当時買った漫画雑誌にたぶんその「のんきくん」のシールが付録として付いてきたんじゃないかと思われましてな・・そいで、幼きあたしゃ喜び勢いそれを壁に張り付け・それから幾年月よ・・今あたしの目の前にはかつてのんき君だったそのスッテッカーは長い年月の経年劣化と共に、やがて情を帯び怨念を帯びただ朽ちて行くだけの虚しさを覚えたか、せめて其処にしがみつかんと、まるで壁のシミのように黒ずんだナニかとしてじっと其処に張り付いていましたよ。なんか不気味な感じに曖昧なシルエットだけを残した糊のはてと化しながら。
 
 と、この壁の染み的のんきくんの残骸を眺めながら、あたしゃ数ヵ月前からこれをどげんかせんとイカンと、じっと心の底に思っていたわけですタイってアータ出身地はどこやねんってくらい日本語ぶれまくりながら、ままそーですな。
 云わばこの幼少より付きまとうこの壁の染み、かつてのんき君だった糊の残骸とシルエット、これはあたしの半生のイコン象徴であり、すなわち現れであると。
 例えば呪い(まじない)と言う作業が御座いますな。何でもよー御座いますが、これは基本「同じ形ものは同じ形の物へ不思議と影響力をもつ(転写する)」と言う発想からなっておりまして、例えば超初歩的な藁人形に五寸釘なんて物は、よーはこの原理の最初期の発想で、対象者と同じ形のもの・・この場合は対象者を模(トレース)した四肢を持った藁人形を作り、それを対象者と見立てて一生懸命に我が抱えている怨念をその対象者と見立てた藁人形に打ち付ける事で、「同じ形のものは同じ形のものへ不思議と影響力をもつ」という不思議の法則をもって、今目下相手に自らの怨を伝え影響力をもとうようとしている事に相違ないわけでありまして、さらに話が進むとその藁人形に今打ち付けている念/苦痛がそれでも対象者へ効果無いとなるとやがて応用編として相手の髪の毛とかより同じ形のものを求める傾向が強まると・・と、これがさらに話が進みますと、我々が現在持っている科学知識とは別領域の科学知識と申しますか・・科学知識と申すと語弊が生じますので世界認識と言葉を変えてみるに・・例えば道教における祭壇というものです。
 
 たぶん、先に「ナウいヤング」という言葉の意味をご理解いただけたあーた方には懐かしく馴染みのあるかのキョンシー映画で、ゾンビたるキョンシーに道士はお札なる紙切れをえいやと額に張り付け・・するってーとあら不思議とばかりに、先まで暴れまくっていたキョンシーはいとも容易く従順に従うままに従順蒼白ボーイになってしまったではないですか。
 これはなーんでかっつーと、無論このお札に不可思議な力が宿っているからじゃあーりませんかと、それは相違ございませんが、ではその不思議な力がなぜ宿るかと言われますと、まず儀式にはいる前に祭壇を組みまして・・この祭壇ってーのが世界の雛形なわけであります。よーは先にあげた藁人形呪いと同じ発想で、件呪いにおいて藁人形は対象者の雛形であるように、この場合の祭壇はなんと世界というか宇宙というかこの世そのものの雛形でして、「同じ形式のものは同じ形式の物へ影響力をもつ」という不思議方程式のもと、祭壇にエイヤとある行いをするとあっというまに世界にも同じ現象が起こってしまうんですねーこわいですねー。
 ってあのお札は、よーはその儀式を封じ込めて持ち運び自由いつでも使えますよとポータブル化したようなものでして、細かい融通は効かない・・・だからキョンシー映画でも門東に肝心なときは、道士がちゃんと祭壇を組んで術対決したりするでしょ・・・ってかなり簡略した説明で、道教に関してはもっと・・実務を請け負っている鬼神であるとか、その上司である神々であるとか、色々めんどくさい説明が必要だが、べつにこれは道教の説明ブログじゃ御座いませんので、まあ興味がある方は各々御勝手に調べていただけば宜しゅうございまして、あたしが今言いたいのはこの
 
「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」
 
 というこの発想ね。
 
 上の道教の説明を読んで「んなアホな」と思った方も案外この発想を自然としてたりしませんかね?
 
 しませんか。
 
 あたしは結構普通にこういう発想を目にしますね。
 
 例えば(超ベタですが)、唐突に、不自然に靴紐がほどけた「うわっ・・縁起わりっ」
 
とか。
 
 この場合、唐突に靴紐がほどける=不自然なほどけるという現象が「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」故に、なにか結ばれていたモノがほどけてしまうのではないか?という不安に繋がる訳でして、スムーズに纏まりかけてた商談の破談ですとか、仲睦まじい恋人達の別れを予感させるなんてのが、ままよく聞きますわな。
 
 人が「なんか縁起わりーな」とか言うとき、洋の東西を問わず(でかく出たな)、だいたいこの発想が肝にあるような気がします。が故に呪いとして上のような進化を遂げたんだと思われますが、それはまた別の話で・・。
 
 って、そいでのんきくん。
 
 
 このシールが子供の頃から使っているタンスに貼ってあるってー事は、勿論ずーと認識していたんですよ。子供用の小さなタンスで。今は細々したものしか入れてませんがなぜか愛着があって、ずーっと使っている物ですから。
 景色のように普段全く気にすることの無かったこのかつてのんきくんだったシミのようなあの残骸を、しかしある時改めて認識し直したとき、あたしゃなんかこれが不吉の予兆であるかのように感じられたんですよね。
 
 なんなんでしょうか?
 
 それは、「縁起わりーな」であり「同じ形式のものは同じ形式の物へ影響力をもつ」でありまして、それがどう「同じ形式の物へ影響力をもつ」かはわかりませんが、なんかこの縁起の悪さ、災いの元っぽいかつてのんきくんだったこの黒ずんだシミを除去してしまう方が良いと考えまして・・さかい、あたしゃ、むきんなって擦ってましたよ。云わば右手の前後運動。エロじゃないです必死です。
 したらさ、ある瞬間。
 
 その擦っている対象物に対して人差し指が(右手)がまっつぐに入りましたな。へいせい人間つーか人体ってのは良くできているもんで、逃げるんですな。こうUの時にすらーと流れに沿って力を逃がすみたいなことが、自然と、塩梅として心得ているはずが、その時は対象物をTの上の横線と捕らえたときのたて線のごとき垂直に入っちまいやがって、あーた、したらさ、そりゃエネルギーが後ろ指にぐいっとつんのめって、体内のドコかにエネルギーを逃がす逃げ道の算段を講じますでしょて事で、あたしの右腕第一間接がその人柱と・・まま、そんな感じでずれてんです。
 
 
 なんなんですかねーのんきくん。
 
 のんきくんはあたしに何をさせたかったのでしょうか?
 
 「同じ形式のものは、同じ形式の物へ影響力をもつ」故の結果として、あたしは今右手を突き指しとります。

f:id:ytugatakewo:20180724195242j:plain

指が落ちて戻らないの図

個人的憂鬱から世界平和まで

1

やあ眩しって、空。もうなんですな。初夏でやんすって光がどっと降りてきて、新緑の緑にじっと染み込んで、滲んで・・なんて五月の景色に感じ入っている間に、言葉を忘れてblogの更新もせずに気がつけば。いつのまにやら、やあ、六月と。光陰矢のごとしてぇ。今梅雨でございまして。そいで今日も雨。

 雨ってのはなんですなぁ。憂鬱を誘うと言えば、本当にそうです。

 例えば汗みどろに働いた最終日、明日から休日だいと、えー何処其処へ出て何か旨いものでも喰おうかとか、何処ぞでなにがしの展覧会が催されているから足を伸ばして・・とか、洗濯物が溜まってスッキリしねぇや、えいやと明日の休日で片付けちまってさっぱりと、なんてぇそんな算段を企んで向かえた朝の雨ってのは、いやはや・・万事が一時、よーは計画台無しですからね。
 窓に浮かんですつ落ちる雨垂れの滴や、それを目で追いかけながら感じる感情の動きの感じを許さないように、忙しなくピタピタと打つ水滴の連続。予定を裏切られた恨めしさを覚えながら、今日に未練を。

ぼーっと

したした

ポタポタ


 眺めていると、天井を打つ雨音めいめいが、その打つ場所の質環境のわずかな違いによって高低や短調を違えて、打楽器アンサンブルよろしく奇妙な環境音楽を奏でているなと覚えて時には・・そうやって感じ入っている僕の耳に引きずられて、先までは恨み千万と苦々しく眺めていたその雨垂れが、まるで抽象絵画でも眺めているか・・例えば和紙に気まま落とした墨汁の滴りや、波紋、広がり・・のような不可思議千万な情景を僕に観させるのですから、いやはや。

 それで、先の憂鬱などは忘れてしまいます。

 さっきまでは、自分の予定を殺した雨を憎らしく思い、その雨の現れとしての雨垂れをなお苦々しく眺めていたのにも関わらず、今はもう、その雨垂れに、不確かな現れを観て、やあ喜んどる。

 世界は多面的だ。

 と、思うのです。

 いいも悪いもない。

 見方ひとつで変わって行く。

 肯定も否定も出来る。その心は、汝の腹にありにけりとな。

 なんちゅー自己啓発的な文章。あたしゃいささか恥ずかしいwa!。

2

全然どうでも良いんですけど、上の文の「。」の疎外感足るや

水は木を打つ音を跳ね返さない

えー無沙汰さんは無沙汰さんですが、いやはや、やー、一年反ぶりですか。こうなるってーと、更新も驚き桃の木山椒の木を通り越して、最早誰もが通り過ぎた荒れ野に今更芽を出した所で、虚しいかな風すら吹かぬ状況ですが、淡々と更新していく次第であります。

と、

先達てからの大雨でして。あたし等の地方にはなんやら警報すら流れたほどで。
 それで、仕事を終えいざ我が家へと鎌倉よろしく勢い飛び出そうとした矢先、丼をひっくり返したような水、水、水で、時間/瞬間のように際限なく降り落ちる雨粒とその連続、そして総体としての雨と言う現象にアータ、こりゃあとても出られません。

 それで、

 あたしゃ、しかしまさかぼさーっとこのまま表にアホ面晒して立ちすくんでるわけ行かないので、どうしたもんかなーと思案を練っていたわけです。立ちすくみながら。

 勝手気ままに仕事を放棄したわけジャナシ、当然同時刻に退社する人が数人おりまして、まあ、アタシも含め固まって「どうしたもんかな」なんて口に呟いている前で、中には剛の者がおりまして、コレを天然シャワーと捉えたか、やあ今夜の風呂代ワいたワイとでも思ったか泰然自若悠々と、まさか晴天と変わらず歩くその姿、こちらとしては、半ば憧れのような眼差しで眺めておりますとこへ、行き違う車の跳ねた水に、「バカやろー」なんて罵声を吐く始末で。
いや、あなた、そもそも濡れてるじゃない・・濡れても良いじゃない濡れ人だもの…と、心の中で思った次第であります。

大雨もあります。