酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

浅草を見る お上りさんケンブン禄⑦

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http://www.photock.jp/detail/tourarea/767/

 

 浅草駅のA4出口から地上へ出た。目的地は浅草演芸ホール。ほとんど見覚えのある景色、看板。これなら迷うことなく歩けるだろうと思うが、先の乗り換えの例もあるし、油断は禁物と、スマホを取り出して道順をさらっとオサライ

 

 「六区のほうね」

 

 と呟いて歩こうとすると、PAが「道分かる?」と聞いた。

 

 「だいたいね」

 

 と、僕。

 

 

 「おめー、そのだいたいがあぶねーんじゃねーか!!」

 

 とはさすがに口には出さなかったが、Paの表情が一瞬曇ったので、そう見て取れた。

 

 「大丈夫だよ」

 

 と、もう一度念を押して先導する。

 

 文豪永井荷風はこの街浅草を大変愛し、ぶらぶら歩きを日課にしていたという。彼は死の前日までこの街をぶらつく事を止めず、行きつけの和食屋「大黒屋」を訪れ好物のカツレツ丼と酒を一合頼んだ。

 

 荷風にこんな一文がある。

 

「江戸名所に興味を持つには是非とも江戸軽文学の素養が無くてはならぬ。一歩を進むなれば戯作者堅気でなければならぬ。

 この頃私が日和下駄をカラカラ鳴らして再び市中の散歩を試み始めたのは無論江戸軽文学の感化であることを拒まない。」

 

 『日和下駄』より

 

図書カード:日和下駄

 

 荷風が没してからこっち、早五十と幾ばかの年を経た。――もっとも江戸軽文学の素養と言ってこちとら自慢じゃないが薄学の徒であるから、とーぜん見落としもあるのだろうが―― そうやって過ぎた年に今この街から江戸軽文学はなかなかに浮かんでこない。

 

 見えるものと言えば・・。

 

 往来を行き交う最新型の自動車の間を昔風のリキシャマンがそぞろに走り、引かれる客の観光西欧美男美女や修学旅行と察せられる学徒は皆、在りし日の旗本奴をかなり簡略化したようなバカ殿的コスプレをしてにやにやしている。向こうに並ぶ低めのビル群は良いとして、その親玉風にデーンと構えるのは新座者のスカイツリー。西新宿の高層ビル群に新都庁が建った時は周囲との兼ね合いもあり、まま良かったものの、この背の低い街並みにあれはまったく馴染まない。CGみたいな違和感を覚える。

 

 全体、支離滅裂として ―― キュビズムのようにありとあらゆる角度のものを強引に一枚絵に落とし込んだかのような、つかみどころのなさを感じた。

 

 「なんて素敵なワンダーランド!!」

 

 と思わず大声で叫びたい気分になったが、その衝動を抑えて歩いていると、営業熱心なリキシャマンは僕達にも声をかけてくる。

 

「おにーさんがた、どうですか」

 

なんて。

 

 あんなコスプレ旗本ですちゃらかやれたらなるほど、「そーです、私が変な・・」ってな塩梅で酒も進むし、怪しげな・・・妖忌が陽気をよんでドドンがドンんだろう。さぞ面白かろうと、引き受けてみたいのはやまやまなれど、なにしろまだ見ぬ江戸軽文学の素養的恥じらいが先に立つ。笑ってこそばゆく手を振って彼らをスルーすると、浅草寺の雷門は工事中だった。

 

 

 

 2

 

 浅草にきて雷門を見ることは容易(たやす)けれど、浅草にきて雷門を見ることが出来ないなんてな経験は、むしろなかなか出来ない――超レアなんじゃないだろうかと思い、ぜひ記念に写真を撮ろうとチャンスをうかがうが、人の出入りが激しくってタイミングがいまいちわからない。撮ろう撮ろうと思いながら人波に流れて切っ掛けを失い、仲見世へ出る。そこから裏に逃げてまっすぐ。左に折れると江戸軽文学の素養はいらないけれど、昭和軽薄体的素養を必須とする屋台に毛が生えたような小さな店が続く。

 

 この通りが好きで、何を買うでもなくぶらついた記憶がある。

 

 ナウでニッチなイカシたブルゾンだとかツータックのスラックスだとか、全体が紫色じみた服だとか。お土産だと言って木刀を投げ売って人の頭をスイカ頭みたいなライライキョンシーズすれすれの、スプラッタだなんだのなんて、そんな意味不明な物が並んでいる道。

 

 ふと目が留まり見やると、古物商的な店構え。軒先に古い徳利が並んでいる。徳利には銘々屋号が書かれていて、これは江戸期の物だなと察せられた。

 

 当時の酒屋は会員制の商いで、徳利はリースだった。

 

 例えば「山田屋」という酒屋に入会すると、その屋号のついた徳利を貸し出される。これがいわば会員証になっていて山田屋で酒を買うためには、「山田屋」と屋号のついた徳利を持っていかなければならない。

 

 「おう、並々入れてくれよ」

 

 と、持って行ってもその徳利が「林屋」の物だったりしたら「山田屋」では、おあいにくさまと断られてしまう。

 

 だいたい当時は「町内」というものが生活の基盤にあって、酒屋でもなんでも生活必需品を売る店は町内でも決まった数しかない。「株」という制度があって、新規参入が難しかったらしい。

 また、いろいろな町内をふらふらと引っ越すこともあまりなくそんな人は「流れ者」と言われたりもしたらしい。落語の「大工調べ」という噺を聞くと、そういった文化に触れられる。

 

・・って、まあ目ざとく。「いやあ、これで少しは江戸軽文学の素養を見せられただろうか」なんで、荷風さんの顔を浮かべながら・・そんなこと思った。

 

 振り返ると、往来で唐突に立ち止まり徳利を眺める僕の横で、paはチンプンカンプンな顔を浮かべている。 

 

 頭の中の荷風さんと目の前のpa

 

  ちょっと解離してるかも。

 つい興味本位で目の前を置き去りにしちゃうのが、悪い癖だ。

 いかんいかん

 

  「昔の徳利ってのはね・・」

 

 と説明しようとしたが、言葉がうまく組み立てられない。トリビアを語れない。ブラタモリ出来ない。


うんうんうねって挙げ句、

 

 「いこか」

 

 と一言だけ…呟いて足は花やしきを横に、六区のほうへと。