1
時間はもう間もなく十八時になろうかといった頃。僕たちはあの奇妙な形をしたアサヒのビアホールを目指して隅田川にかかる吾妻橋を歩いていた。薄く透明な風に吹かれて―― 橋に吹く風は水に洗われて街のそれよりずっと透き通っている――視線を遠く下流へ向けた。傾いた光が斜めにずっと強くって。川沿いに並ぶビル群の輪郭をよりくっきりと強調していた。こうやって空から濃い群青色の幕が少しずつ降りていく。それで、やがて夕焼けの朱(あか)がこの川面に溶けるように沈んで、消えてしまうことを僕らは知っている。例えばこの川の向こうには海が有って、そのさらに向こうずっと遠くには僕の知れない外国の街の、見たこともない誰かのどこかのささやかな生活が有ると言う事を知っているように。
潮騒は、ここまでは届かない。その匂いもここには全く漂わないけれど。ただ、ゴミゴミした街並みからいっぺんに放たれた大きな川の上に居て、この開放感はその向こうにある海や、海の向こうの生活を想像する一助になる。
世界は球体だという。僕はそれをこの目で確かめたことは無いけれど、それは多分正しいのだろうと、疑いもなく信じている。こうやってこの日がゆっくりと落ちてゆくこの現象も、それに所以するものだと聞いたし、また世界を順繰りと回って、巡り巡ってすれば、やがてまた今いる地点に辿り着くのだとも、昔々教わった。
事実、橋の上には若いチャイニーズの女の子たちが三四五人、皆かたまりで集まってめいめい橋の欄干にもたれてスマホを先の長い棒の鼻先に括り付けてアハアハ笑いながら記念写真を撮っている。彼女たちはこの球体をホンの僅か――それは地球換算でみたら本当にほんの僅かだが、僕の普段の移動距離から見たら果てしない距離だ――を西からさっと飛び越えてこの街にやって来た。東を向けば西からやって来る。自撮り棒を片手に。
僕らは笑いながら彼女たちの横を通り過ぎた。
2
橋を渡りながら流れる川を眺めながら、僕は懐かしい歌を思い出す。
『愛し愛されて生きるのさ』
小沢健二が1994年に発表したこの歌は、若さゆえの瑞々しい感受性と、それと妙に達観したかのような・・まるで昆虫標本でも作るかのような乾いた視点から成り立つ、いわば二率離反した要素が不思議とうまく混ざり合って、その矛盾が奇妙な味わいになっている。一聴すると普通によく出来た和製ポップスなんだけど、よくよく考えるとよくこんな歌つくったなと思う。
「大きな川を渡る。橋の見える場所を歩く」
確か当時彼は築地の辺りに住んでいたはずだ・・・と、言う事は吾妻橋を歩きながらこの曲を書いたのだろうか。
いや、この曲は妙に過去への言及が多い。過去と現在の視点がモザイクじかけに重なり混ざって、だからさっき考えたように、妙な達観と瑞々しさが入り混じった不思議な感触を生み出していると思うんだけれど・・・と言う事は、彼はこの曲を作っていた時彼の原風景であった川崎市の多摩川を思い出していたのだろうか。そう言えば当時彼が冗談交じりに「多摩川ノーザンソウル」なんてことを言っていた。
おそらく答えは、そのどちらでもあるだろう。
過去に歩いた川と現在歩いている川を重ねて、このモザイクのような不可思議な歌を作った。
象徴としての川、時としての川。
小沢健二の音楽は、常に時間がテーマになっていて、例えば老いや、例えば若さが歌われているけれど、それは、結果的に未来と過去の集約した今という地点の提示になっている。
そして
、それをそれを象徴するように、川というワードが使われているように思う。
あの川-Ecology Of Everyday Life-小沢健二
水は上から下へ、時間は過去から未来へと流れ続けるけれど、イチイチあれこれと思考する僕たちは、想定する未来から逆算して今を定義したりしてしまう。そしてそれは思い通りにならない我々の人生の、幾度とない失敗の・・想定した未来にならないもどかしさを数多と味わった今としても、つい、ついついとそうやって、そうしてしまう。
ミャンマー料理屋で、そして寄席でビールを飲んだ僕は程よく酔っぱらっていた。音痴な僕は普段カラオケだって行く事が無いのに、興に乗っておぼつかない音程を綱渡りのようにして、旋律を口づさんだ。せめて小声で歌ったつもりだったけれど、耳ざといPAはすかさず噴き出して。僕もあまりの馬鹿馬鹿しさに笑った。