酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

個人的憂鬱から世界平和まで

1

やあ眩しって、空。もうなんですな。初夏でやんすって光がどっと降りてきて、新緑の緑にじっと染み込んで、滲んで・・なんて五月の景色に感じ入っている間に、言葉を忘れてblogの更新もせずに気がつけば。いつのまにやら、やあ、六月と。光陰矢のごとしてぇ。今梅雨でございまして。そいで今日も雨。

 雨ってのはなんですなぁ。憂鬱を誘うと言えば、本当にそうです。

 例えば汗みどろに働いた最終日、明日から休日だいと、えー何処其処へ出て何か旨いものでも喰おうかとか、何処ぞでなにがしの展覧会が催されているから足を伸ばして・・とか、洗濯物が溜まってスッキリしねぇや、えいやと明日の休日で片付けちまってさっぱりと、なんてぇそんな算段を企んで向かえた朝の雨ってのは、いやはや・・万事が一時、よーは計画台無しですからね。
 窓に浮かんですつ落ちる雨垂れの滴や、それを目で追いかけながら感じる感情の動きの感じを許さないように、忙しなくピタピタと打つ水滴の連続。予定を裏切られた恨めしさを覚えながら、今日に未練を。

ぼーっと

したした

ポタポタ


 眺めていると、天井を打つ雨音めいめいが、その打つ場所の質環境のわずかな違いによって高低や短調を違えて、打楽器アンサンブルよろしく奇妙な環境音楽を奏でているなと覚えて時には・・そうやって感じ入っている僕の耳に引きずられて、先までは恨み千万と苦々しく眺めていたその雨垂れが、まるで抽象絵画でも眺めているか・・例えば和紙に気まま落とした墨汁の滴りや、波紋、広がり・・のような不可思議千万な情景を僕に観させるのですから、いやはや。

 それで、先の憂鬱などは忘れてしまいます。

 さっきまでは、自分の予定を殺した雨を憎らしく思い、その雨の現れとしての雨垂れをなお苦々しく眺めていたのにも関わらず、今はもう、その雨垂れに、不確かな現れを観て、やあ喜んどる。

 世界は多面的だ。

 と、思うのです。

 いいも悪いもない。

 見方ひとつで変わって行く。

 肯定も否定も出来る。その心は、汝の腹にありにけりとな。

 なんちゅー自己啓発的な文章。あたしゃいささか恥ずかしいwa!。

2

全然どうでも良いんですけど、上の文の「。」の疎外感足るや