酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

時間、花、うたかた

 

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 桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 

 

梶井基次郎 『桜の木下には』青空文庫より)

 

 

 

 光が随分やわらかく、風も温んだ庭のそよぎなんぞを眺めて。数年前まで、ちょうど目の前に立っていた山桜の事を思い出します。この時期になると優しい花びらを慎まし気に開いて。風に遊びながらちらつかせる。仕事が済んで、くたびれた日などは、その夜桜を月光の光と清酒で楽しむのが、何物にも変えがたい慰めでしたが、いつだかの大雪に耐え切れず儚くも折れてしまったのでありました。

 

 そんな思い出があるから、あたしには春の日が、少し物足りなく、今は寂しさを覚える。 ソメイヨシノも良いけれど、あの山桜の、侘び寂びをわきまえた慎み深さが、いっそう懐かしい。

 

 2

 

 いやまあ、しっかし思い出に浸って。それにすがって生きていてもせん無きこと。

 

 「舎利子見よ色即是空花ざかり」

 

と、コレは誰の句でしたろうか。

 

 万物は常に変転を繰り返し、一時とて今ここに固定されたものなぞ無い。折れてしまった山桜もまた、永劫ここに花を咲かせるって道理は、はなから無いもので。

 明滅する時空の瞬きは、今をどんどんと過去へと押しやるもんでありますから。人は時に、そのスピードについてゆけずに、丁度今のあたしのように戸惑いのうちに過去を懐かしむのでありましょう。ムロン、年をとればそれだけ肉体的にも精神的にも反射神経は劣化しますゆえ、その傾向が強まるのは言わずもがなてなもんで。

 

 でもそれで良いと思うんですがな。

 

 前向きにいこうぜ、べいべーだぜ・・って無理やりに心がけてポジティブ原理主義で生きていたって。

 

 まあ、べつにそれもそれで良いと思うんだが、前向きでゲンキイッパイに生きてゆくことのみが正しいんだぜてな論調を見ると、いささか鼻白む。

 

 閑話休題

 

 さてと。

 

 まーそんなわけで、あたしはあたしの日々の安らぎスポットを一つ失ったって経緯がある。 以来あたしは探したんですな。酒を呑み呑み楽しめるファンシーなスポットを。アパート探しのごとく必要条件を一々挙げて。

 

 一つは花が綺麗である事。二つは、月(てか、空)がよく見えること。三つは人通りが無いこと。三つはある程度のスペースがあること。

 

  そんな案件をおんぼろコンピューターで叩いて見渡すと。・・やあ、随分とファンシーなスポットがグーグルさんに並びますな。明日は酒瓶を懐に抱えて・・・と言っても飲酒運転は咎でありますゆえ、まあ酔いどの千鳥足で帰ってこれる程度の場所と探せばグーグルさんは知らぬけれど、あたしには一箇所思い当たる節がある。

 

てか、思い出した。

 

 そこは山奥にあって、道は一応舗装と整備されているものの、車の往来も日に数回といったばかりで。えー昭和のバブルごろに観光対策みたいな名目で建てられたはいいが、全く流行らずに放置されてしまった施設ってのは地方にはいくらでもある。

 忘れ去られたそんな施設を、某宗教団体がコレを修行場にしようと二束三文で買い上げ、「○○道場」なぞ看板をしつらえて、・・・って、いかにも冒頭に引いた梶井の名文がよみがえるようなシュチュエーションじゃあーりませんか。

 

 そうなんですよね。

 

その、某宗教団体の施設に咲いている桜の花が、たまさか人の生き血を吸ったのかと思えるくらい、スンバラ式照り具合の、眩さ繚乱って・・まーなんなんでしょうかねー。

 

 

来年にはあたしもリッパに、この桜の養分にならんことを・・・

 

「シュギョウするぞ。シュギョウするぞ。いつもより一番シュギョウするぞ。。限界までシュギョウするお。ムリクリにでもシュギョウするお。てんやわんやでシュギョウするお。朝飯前でシュギョウするお。出前のそばが伸びる前にシュギョウするお。朝風呂帰りでシュギョウするお。酒を一杯シュギョウするお。」

 

って、ニューシンしてねーから。