コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

群像と仮面と秋桜と秋

見知らぬ人々の群像――顔の無い個体――防衛機制と想像力。

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 仕事柄知らない人々の中へ入っていかなけらばならないことが多々ある。知らない人々の集団とは即ち群像で、彼らは個体としての顔を持たない。これが僕の仕事だからと理性では割り切ったつもりでも、感情及び身体は正直である。ふっと話しかけられたある瞬間、返す返事は素の自分では考えられないくらい声高く大きいのである。

 

群像「あのーすみませんが・・」

僕 「はいっっっっ!!」

 

みたいな塩梅に。

 

 

そして、僕は今し方僕が発した僕の声に驚きを覚える。僕の理性にとって、この反応はかなり不適合で・・だって僕はもう何度もこういう環境に身を投じてきた。見知らぬ人々の中に分け入って、居場所を探して、その中で自分の出来る仕事をしなければならないなんて、もう何度も繰り返してきた当たり前の状況だ・・状況で無ければならない・・と、そう思っているからだ。

 

 にもかかわらず僕の身体・・感情はそう考えていないらしい・・僕は僕(理性)の思っている以上に臆病で臆病なのだなと僕(理性)が思って、僕は少し暗澹たる気分になる。それから少し大げさに咳払いをするとか、何か少し大げさな取り繕いをしてから、僕は極めて冷静で場当たり的な返答を返すのだ。

 

「・・えーあー、はい。なんでしょうか。」

 

みたいな。心がけてテンション低めで。

 

 

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 秋景色はまるで迷宮のようで、群像としてしか景色が見えない。味わい色の満ちる季節・・しかし花をとってみても、春にあって桜だとか、夏にあってヒマワリのような、ある種の象徴性をもってその時の景色を全力で引っ張ってゆくような圧倒的個性は見当たらない。ただ総体として、調和として美しいに尽きる・・だが、ぼやけているような気すらする。群像だ。秋の、調和。定まらない、総体としての群像だ。

 

 ・・そして上に挙げたように、僕は名前の無い群像が苦手なのだ。

 

 僕は秋の中で輪郭に迷う。

 

 カメラを片手にぶらついて・・輪郭に迷うというのは即ちピントを何処にに合わせれば良いのかと言うことで。。様は距離感である。・・人との距離感もそれだ。

 

 仮面をつけたような人々の群れ。分け入る必要のある未知の集団の中に分け入って、何処に・・いや、誰にピントを合わせる必要があるかを見定めることが、この未知の群衆の仮面を剥ぐ早道になる。

 当たり前の話だが人は本来仮面をつけていないし、群衆でも無い。ただ、情報が足りない故に、そうみえるだけなのだ。距離かつかめれば自ずとピントが合い群像が個体の群れになる。

 要はその距離感のとっかかりが欲しいのであって。

 

 春には桜、夏にはヒマワリみたいな。

 

どれか1つの個性にとっかかりを見いだすことが出来れば、そのつてを頼って自ずと関係性は広がってゆく。

 ヒマワリを被写体にしたとき、ヒマワリにピントを合わせると決めたが故に光線の向きだとか背景の塩梅だとか、その他諸々の関係性を構築できるようになるように。

 

 しかし、繰り返すが秋景色にはそれが乏しい。そして見知らぬ組織の中に入るとき、それ、その人を見いだす事も至難の業だ。なぜならば公式的な肩書など、ほとんど信用できないからだ。

 

 例えばあるプロジェクトを標榜としたコミュニティーがあったときそのプロジェクトのリーダと呼ばれている人より、何の肩書きも持たないのにコミュニティーの人間関係に於いて妙に影響力がある人がいたりする。

 杓子定規にあの人がリーダーだからと的を絞ってみたら、全然とんちんかんナ事になるなんて事も多々有る。なんか上手く入り込めないな・・と思ってよくよく観察したらそのコミュニティーの肝を握っていたのは、全くの別人であった・・なんて。

 

 

 肩書きだけあって影響力の無い人もいるし、その逆もしかり。結局は関係性なんだろうと思う。

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 組織として構築された関係性・・その中に異物として分け入るとき、僕が観る人々の顔には必ず仮面があって、そして秋の景色もまた同様である。

 構築された関係性・・その中にカメラを抱えて分け入るとき、異物としての僕に被写体は仮面をかぶっている。 

 秋だから故に。日本的。あまりに日本的な風景と言えば、ナルほど納得である。

 

 僕はカメラを抱えて表へ飛び出した。何か写真を撮ってやろうと言うコンタンで。トーゼン目の前にはアたりマエダの秋景色で。だがいざファインダーを覗いたとき、僕はその景色をどう切り取れば良いのか、実際の所よく分からなくなってしまったのだ。調和のとれた世界。おおよそ切り取る事の求められていない全体性。ファインダーから見える画像、切り取られた画像はどれも尻切れトンボのようで。再びファインダーから目を離す。美しい調和・・ああ、僕は迷ってしまったんだなとホントウにそう思った。世界らしからぬ世界。まるで全てが他人事のように。

 

 

 ・・そんな中コスモスの花が目に留まり、そして心は落ち着いたのです。コスモスは知っている花だったからね。

 

 秋景色の中唯一顔の見える花を撮ったというお話。

 

 

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こういうもんだ

 

 

しかし顔の無い個体・群像。秋の景色は美しい・・

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