コトバ 風物 ジッタイ

ゲンショウの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

老化へのジレンマと、美しさへの憧れ

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若い頃よく聴いた音楽に「セックスピストルズ」なんてバンドがあった。

 

ロンドンパンクのオリジネーターとして、音楽史に消えることのない名前を刻んだこのバンドは、舞台上で恥もてらいも無くド下手な(おそらく既存の音楽的価値観からすれば・・)醜い演奏をさらし

 

「ノーフューチャー!!」

 

と叫んだ。

 

「未来なんてイラネエよ」

 

と。

 

 もしかしたら、いや多分に逆説的な物言いかもしれないが、醜いが故にぞっとするような美しさがそこにはあった。

 


Sex Pistols - Holidays In The Sun

 美しさとは何か?

 

 

 それから、何十年もたって、あたしも年をとった。

 

 「未来なんかイラネエよ」と軽々しくも言えるのは若い証拠だと、この年になって身に沁みる。

 無限の可能性があるから、そのうちの一つや二つを捨ててしまっても、まだまだ未来があると分かっているから、そんな事を言えるのだ。未来を信じきっていられればこそ、それへ捨て鉢な言葉もぞんざいな態度も取れると言うものだ。未来が限りある資源であると、気がついたときにはもう遅い。

 

 そう思った瞬間に、人はもう老いてしまっているのだから。

 

 そういえば、

 

「少年老いやすく、学なりがたし」

 

 なんて言葉の意味を本当に・・・つまり言葉面の意味ではなく実感として体の芯から体感した・・・理解できたのは、自分自身に若さが失われつつあると感じた時であった。

 

 この言葉は、普段格言として若者に「人間の一生なんて短いんだから、若いうちに一生懸命勉強しなさい」みたいな解説をされることが多いが、そうではないと、ふと思う。

 

 だって、そんな事知っちゃ無いのだ。数多と未来のある若者には。

 

 そして、きっとこんなことを言っても、聞く耳は持たれないだろうと、言った当人もわかっている。なぜならかつて、自分もそうであったと言う負い目があるから。

 

だからこの言葉は、ただ単のボヤキではなかったのかと、今日日思う。

 

 知るという行為は、実に罪深いむかん地獄のようで、何かを知ると、其処から派生した別の何物かの「知らない」という現状にぶつかる。「知る」行為を一度志したならば、むしろ「知らない」と言う現状を知る機会のほうが多い。年をとればとるほど、知れば知るほど知らないが積み重なる。

 

 そして知れる時間がもうほとんど無いことも知っている。

 

 ため息だってつくし、ぼやきたくもなる。

 

「はあ、・・・少年老いやすく、学なりがたし。アーメン。」

 

ラーメン

ソーメン

 

やーれんそーらん。

 

 おほほ、ほんとうにやれんよ。

 

 

 

 「老害」という言葉を、最近よく目に耳にする。なんて酷い言葉だと憤慨したくもなるが、残念ながらそんな言葉を言ってしまう気持ちも分からんでないな・・と言う場面に遭遇してしまうことがままある。

自分自身のイメージの内にある自己と、現実に存在している自分とに乖離が生じているが故に、色々とちぐはぐな間違いを起こしてしまうのだろう。

 

 例えば、思春期の青少年が反抗期だといって暴走する傾向にあるのは、肉体の成長に対して精神の成長が伴わないため、心身が乖離をきたし、それが戸惑いとなっているが故・・と、出典は忘れたが、どこかで読んだ。

 

 それの逆バージョンだと考えると、分かりやすい。

 

 肉体の老いに対して、精神が熟成していないため・・と言うわけだ。

 

 確かに、上手に年を重ねた人の所作と言うのは、見ていて美しい。老化が必ずしも醜いものではない、誰もが持ち合わせている若さゆえの美しさ・・以上の美しさをと言うものが、人の、人生には確実に存在すると言うことを示してくれる・・が、それを獲得できるものは、かなり少数であるらしいという現実も・・超レアなキラカード並みの美しさを僕に提示してくれるが、どうしたらそれを獲得できるのだろう・・と考えると、果てしない。

 

 実際に、さらに年をとってみるしかない。

 

 

 

「時間はつねに一方向に、思ったよりも速いスピードで流れている。人間はその中で生きているから、何事もその全体像を把握することが出来ない。僕などは、生きてきて、その場でなにが起こっていたかわかっていたことはまずないと言っていいのではないだろうか。それなのに、と言うべきか、だからこそなのかはよくわからないが、現在のことよりも先の事ばかり考えていたりする。しかも、未来に対して希望を抱くというよりは、老いや死に対して漠然と不安を感じていることのほうが多いのだから、人間と言うのは困ったものだ。

 沖縄では年寄りがすごくいい。それはとくに音楽を聴くとよくわかる。年をとればとるほどカッコいい。もし民謡歌手だったら、自分も早くあのような声になりたいと思うはずだ。ところが、東京に帰ってくると、若ければ若い方がいいという考え方が主流なので、多くの人はうまく年をとれない。」

 細野春臣『アンビエント・ドライバー』

 

 

アンビエント・ドライヴァー (ちくま文庫)

アンビエント・ドライヴァー (ちくま文庫)

 

 

 テレビショッピングでも何でも、マイナス何歳肌だのなんだとの、チャンネルを回せば(死語)洪水のように若さ原理主義に基いた宣伝、プロパガンダを浴びる。

 

「ハイル!若さ!!」

 

 ・・故にあたしもあなたもぼくもきみも洗脳されて・・若さにしがみつき老境に達しない心のまま、体は年ばかり重ねて、今日も偽りの若さを引きずった・「老害」を生む・・という循環にあるのでしょうか。

 

 

 美しさとは何か?


細野晴臣/悲しみのラッキースター 【MUSIC VIDEO】

 細野さんの年の取り方は、美しい。


 追記

 

 これ書いてて、久々にジョニーロットンの歌聴いたら、いかにも町田町蔵の唄い方を思い出して、わらった。マチゾウってけっこう基本に忠実なのよね。

 

 ほほほ

 


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