1
街道を北へずっと上っている間中、向こう見える明石飛騨木曾と山々は、ようよう繁り鮮やかさのうちに心地よく・・・・言って50㏄ の原付バイクである。大型トラックは日本経済、流通の要は我也と、さも天下人。我が物顔で走り去り、その風にあおられ、ふらふらっとよろける事も度々。けれど尚、この時速三十キロメートルの鈍足走行は、木々の稲穂の瑞穂と輝く色に香りあり、蝉しぐれ川のさえずりとまた耳に味わい。飽きぬ飽きぬと面白く。進んだ進んだ。
それから、一時間ほど走ったあたり。
所詮、粗忽素人原付乗りの浅はかさ。祟りにけるはTシャツ短パンの愚かさに、見事に焼けて。黒と焼ければまだ良いものの。炎天の・・いや風も吹かぬこの油照り―一身に一身に受けた紫外線に赤々と腫れ上がる。さあ、左ウインカーでバイクを留め・・・路肩の小石を蹴り上げて一服。焼けしなだれたヴァン・ゴッホのような向日葵を眺め・・恨めしく空を仰いだ。
うす曇り、どこまでも広がる・・・。
そもそも近所のコンビニへ、洗剤を買いに行く途中であったのだ。それが、何故・・・・。ポケットからスマホを取り出してみると、母親から洗剤督促のメールが三件。最後の一件は、さすがに大分心配しているようであった。片道五分のコンビニへ「んじゃ、ちょっと行ってくっから」と、簡単に断りを入れて、こっち早二時間。目的地のコンビニへ着いたまではよかった。それから、一寸立ち読みを・・と雑誌をめくって。
さて、その後。
何に誘われ見出されたか。
畢竟、魔か憑き物か物の怪か。
今、こんなアサッテの場所にヒリヒリジリジリと立ちすくむ俺がいる。
ああ、肌が痛い。焼けるようだ。
イヤ・・・焼けてんだこりゃ。
2
さあ、どうするかと思って、温泉に入ろうかと思った。
なんで?って。・・・だって。
いや分かりますよ。だって、 温泉と言って、湯につかるのは、焼けに焼けたこの身この肌には、また地獄の責め苦。ドМが望む針の山って・・あたしゃ、身ども、俺、拙者、僕、それがしが望むのは・・・・
うんなこっちゃない。
あああ、あのさ、あの。もし。あの、温泉には、決まってサウナってもんがあるでしょ?え?アレご存じない。まま、言うなれば、古より伝わる秘法ですな。不老長寿の妙技ってやつで。
この・・まま・・えー。まま、そうですな。言ってみりゃ、アッツイアッツイ四角い空間に入ると思いねぇ。空間?お湯は?プール?呼吸はって?・・・バカ言っちゃいけねえや。アッツイアッツイ空間には、アッツイアッツイ空気しかねえんだよ。・・ああ、あとアッツイアッツイ空間を作る為の、アッツイアッツイ装置。あと大体、付属っつーか、オプション的な・・・太ったオッサン。まあ、二人はいるワナ。アッツイアッツイ空間の暑さを視覚的に演出する汗みどろのふとったオッサンが、まあ大体オプション的に、二人くらいいると思っていい。
まあ、まんずそごに入っで、アッツイアッツイ太ったオッサンとオッサンの狭間で、自己をよりアッツイアッツイ境地へと高めてゆくってわけ。そして、魂が、肉体が燃えヒートし、心拍数が最高にビートした瞬間に、「ウィリイイイ」と叫びながら表へ出るってわけ。マナーとして。
んでな。その、サウナと言う仮設された異常空間を出たらどうするか?と言う問題だが・・まず周りを見ろ。よく見ろ。しかも素早く。・・あーそうだな。素人さんは、まずその異常空間に入る前に、辺りを伺っておくほうが、良いかもしれない。あのな、だいたい徒歩.徒歩で行くな。てか徒歩だわ。その徒歩、圧倒的徒歩のうちに図る距離感は、生命線。圧倒的生命線。まあ、だいたい見にして五メートルほどですかな。その辺りにな、「れいせんよく」と、書かれた看板が有るはずなんだが、汝、お気づきだろうか?
それですよ。
この冷泉浴ってのはな、読んで字の如く。冷たい水と。んで・・・。
よーするにだ。
こんな事、たまさかキチガイ沙汰か、破廉恥、畜生、傾奇者の酔狂かと疑う行為だが・・・だって、この火照りまくり、アッツアッツに高まりまくったこの心身のヒート、ビートを瞬時に冷ますべく、さっと、わっと、これこの看板の下にある溜池――にどっと飛び込むって・・なんちゅう自殺行為じゃ。早死にしたいのかおんしゃぁ。そげんばこつしようもんな日にゃ心臓麻痺、マジ一目散。極楽往生一歩手前・・てなもんだが、これが案外いいらしく・・だから、これは不老長寿の 秘法と先より申してろうが。いかにも健康状態のいいマットウ健全な人間(そしてそんな人間など殆どいない)にのみ通用するショック療法ってやつでな、ままそれを繰り返すことにより、人生のヒートビート状態・・言うなれば絶頂と暗鬱を極めて短時間の内に強制的に繰り返し、ずんずんと刺激を与えて身体を活性化しようじゃぁねえか・・という、まま、なんつーか、これは結構「体に悪い健康法」なんじゃないか??と思わなくもないのだが・・・。
いや・・まあ、そのサウナの温冷ショック健康法の真偽に関しては、今ここでは問題ではない。あのな、あたしゃ、この油照り、うす曇りで籠った空の下逃げない熱に一身に浸かって、いま、体中アッツアッツなわけ。いわば、もうサウナ入った状態な位、体ほてっちょる。そいで、だから、その体が燃え滾るヒート状態だから、少し冷ましたい。冷泉にはいりゃぁいいじゃん。そりゃそりゃそうじゃん、そりゃそうじゃんと。一心に決めて、温泉に行った。
3
それから。
さあ、湯には浸からぬが、温泉は温泉である。市営の施設か。古風な温泉、湯屋なんて趣はどこ吹く風。いかにも公共施設。こぎれいだけが売りの、それ。
券売機でチケットを求め、番台と言うにそぐわない受付のおじちゃんにチケットを渡すと、「はーい」とから返事でそれを受け取る。まったく・・と思ってみると、こう、チラシがあれこれと置いてある台の隅に、ビードロに活けた一輪挿しがヒルガオで。浅い朱に、青い緑がこうガラスに巻き付いて。
脱衣所で服を脱ぎ――赤い。半袖部分を境界に、きっちり線分けされているのが、恥ずかしい。――入ると・・・こう大浴場を中心にデーンとしつらえて、左に洗い場。右に源泉浴と言う作り。その奥にジャグジー、言うなれば泡ぶろ。そいで打たせ湯、サウナと並ぶ。
なかなか充実しているじゃないか・・なんて思えど用はない。火照りよ火照り。このあっちっちを何とかせにゃぁと、一旦洗い場で軽く汗を流し、そいで、ずっと奥、一番奥のサウナコーナー。冷水へ。
やあ、温む水の柔らかさ。良い水は柔らかいというが、なるほど。肩まで水に浸かり、こう胸の前で手を遊ばせちゃぷちゃぷ水を漕ぐと、優しい波が起きる。きゅるきゅると滑るようなその水に浸かるは――たまさか福原殿、かの平清盛公をわが身と重ねて。かの公がその晩年、熱病に侵され、比叡山から直送冷水を取り寄せては、水風呂に入ったと伝え聞くが――いや実際、体のほてりも和らぎ、皮膚に溜まった熱もいくばか冷めたかと、その頃合いに、湯殿を後に。
再び脱衣所へ。
重度のアトピー持ちに風呂上りは忙しい。体の水気を取り、してこれからが本番。とにかく保湿。保湿が命であるから、全身に化粧水を塗りたくり、疾患の酷いと認めた個所には、練り薬を重ね塗り、・・と、その頃にはわが人体は砂漠である。先に塗った化粧水なんぞとうに吸収して、四散滅裂――乾ききっているから、また化粧水を(この化粧水は、先の化粧水とは違う。より保水力のあるものである)塗る。そいでから、今度は保湿クリームを重ね塗り・・と、さあ大忙し。一事が万事、算段整うと、そんな肌ケア過剰な僕を周りの衆徒は皆おかまさんか何かと言った顔で眺めるのだが・・おほほほ、そんな時は、せいぜい腰をしゃなりとくねらせ、「あら、ごめんあそばせ」なんて言うような、おほほな感じを精いっぱい漂わせて・・・若人のパンツ・・股間を振り向き美人で凝視したりしてから、しゃなりさっそうと脱衣所を後にしてみたりする。
おほほ、ほほ。
4
さあ、帰ろうかと、表へ出ると。先の油照り。薄曇りの閉塞した空は嘘のように立ち消え、とうに青く。それから、一つ目の大入道が山の向こうから、にゅっと顔を出し、蝉しぐれのさんさと鳴らすこの山間に、うわっと雨を降らせた。
やあ、ありがたい。
先からの熱に、黒々と煮だるアスファルトも、これで幾ばか冷めてくれれば、夜はずいぶん過ごしやすかろう。と、皆が皆、ひと時の雨宿りを決め込み安堵する。中には売店を覗き氷イチゴをと求め、それをプラスチックのしゃじで救いながら、その目この目で、御一つ目入道様の魔力に魅入られ、見染めるかのような視線で、「やあ」だの「はあ」だのの、嘆息が其処此処で漏れ聞こえる。
「やれやれ」と。大げさにまくり上げた二の腕で額をこする者もいれば、かの入道の気まぐれか、走る稲光に「ぎゃっ」と声を上げる者もいて。
なお雨が降り止まないようなので、今一度施設へ逃げ、休憩室へ。かせきさいだあの『じゃ、夏なんで』を聴きながら、気が付いたらうたた寝て、小一時間。
一旦コンビニへより所望の洗剤を買い家に帰ると母親が、呆れた顔で
「あんたって、まったく当てにならんね」
と。
まあ、返す言葉もない。
5
『じゃ、なつなんで』
かせきさいだあの、ある種紋切り型ともいえる普遍的、模範的な日本の夏の結晶。
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