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酒の井戸

アルコールの海に溺れながら考える世界のいろいろな出来事。または箱庭的な自分のこと。

面白い落語百選①- ねぎまの殿様7

  

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 デブのしろ野良が僕をほぞ笑う。こいつは、事によると誰かに飼われているのだろうか。妙に人慣れした奴で、慣れると言っても懐くほうなら可愛いが、どうも人を下等に見ている向きがある。寄ろうもんなら、そくざ十分に距離を測って、こっちが後半歩という所でさっと飛びのいて。それからすたすた歩きの後、振り返りニタリとな。実に面妖奇怪不気味な笑みを浮かべるという・・。

 ・・・いや、猫が笑うと言うのも変な話だが、あの手練れたきゃつめは・・・あのキャッツめはよっぽど、人より表情豊かな気すらする。懐かないくせに、それでいて往来を我が物顔で堂々と歩くものだから、一層憎らしい。

 野良なら野良で痩せてたくましく、切った張ったの傷跡くらい見せるくらいの、やさぐれたやくざもんの方が、説得力も愛嬌も増すのだが、繰り返すが、奴はデブである。

 名前はまだ無い。

 昔は放し飼いの猫なんぞ、街の裏路地にわんさと居たもんだが、鳥獣も余すとこなく過保護な時勢で、最近では、あまり見ない。

 

 希少である。

 

 

 って、何の話でしょうか。いや落語よ、ラ・ク・ゴ。『ねぎまの殿様』てぇのの続きを書こうと、こうコンピューターに向かうんですがねぇ。

 

  ・・・・いっつも前置きが長くなるな。蛇足ってのは普通、蛇を書いた後に、調子に乗って足も書き足しちまうって。そんな話じゃないのかよって・・いえ、まあ普通はそうなんですが。あたしの場合は、どうも足から書き出す性質でございまして。まあ、なるべくイランとこから書き出して、肝心要の重要な部分はシャンシャンシャンで、適当にざっくばらんに、お手打ちと願ってって。・・・まあまあ、そんな感じです。

 

前回の続き

ytugatakewo.hatenadiary.com

 

 

  ふらりと入った煮売り酒屋で、まっ昼真っからねぎまを食べ、酒を二合と召し上がれば・・まあ、そりゃあ誰だって良い心持になりますわな。そんな塩梅の殿様が三太夫を呼びつけ・・つっても隣にいるんです。呼びつけも何も無い。さっきから殿様が機嫌よく召し上がっているのをずっと見ていた。

 「にゃあといい、ダリといい、余は大変に満足である。雪見はこれにて終いにするから、町人に勘定を十分に払いつかわせ」

 

 「ははー」

 

 それで殿様は馬にのってさーっと帰っちまう。

 

 なんてえ嫌な上司ですかねえ。現代なら、呑みの席で上司がさっと帰る時は「おう、お前もこれでもう少し呑んでけ」なんてお心付けが、あって良いもんで。そんな事をしない上司は影で部下から「あいつはどうもケチでいけねえよ」なんて陰口を叩かれる始末で御座いますが、当時の武家社会は、今よりずっと厳しい縦社会。封建制度ってのが御座いますから、三太夫さんは、酒代を払い、四、五十のオッサンならどうせリューマチだの腰痛だのを当然抱えてましょう。・・いえ、あたしの事ではないですよ。肩こりもひどい、四十、五十肩と、手綱を操るのも・・・それに膝だって限界です。馬の腹ってのはかなり膨れてまして、これに一々圧を加えて、「進め」だの「とまれ」だのと号令しますから、一々体に響く。もう一挙手一投足がガタピシと、体の隅々に痛みとして反映するのであります。・・・いえいえ、だから、あたしの事ではございません。

 

 冬の日が・・・殿様が随分煮売り酒屋で長居をしたと見えまして、今の時なら三時頃でしょうか。光が西から傾いて、切なく三太夫の背中を照らします。寂しく小さい背中です。

 舗装なんぞ無い当時の雪道に、馬の足音はさぞ重たかったでしょう。世間でよく言われる「パカッラッパカラ」てなもんには、到底遠く。あえて擬音で表現するならば「ギジャ、ヌジャ、ズジャ」とか、そんな具合でしょうか。馬の足も重たく、三太夫の心も。また、空しく重たかったのであります。

 

 ああ、何処かに良い按摩屋はないものか・・なんて思う

 

そんな帰城シーン。

 

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・・・・・・・。

 

と、そんな感じで、この煮売り屋でのワンシーンは終わり、物語は次のシーンに移ります。

 

 が、その前にすこし。

 

殿様の食事とは・・・?

 東照大権現、つまり徳川家康って人は、育ちが苦労人ですから、非常に質素な食事を好み基本、一飯一汁一菜だったと聞きますが、やがて時代が下りまして江戸も安泰となりますと、贅沢になりまして二膳つきます。朝食は、一の膳には飯汁、刺身や酢の物。そして二の膳にはキスの塩焼きに焼付けの二種。と、贅沢なもんですな。朝っぱらから刺身がつくとは・・・

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 ・・・・と思うところですが、どうもそうではないらしい。例えばご飯ですが、米と言えばこんにち、炊くものだと相場が決まっておりますが、このやり方は大体室町の頃に広まった。それまでは蒸篭で蒸して食べていたそうです。米なんてのはあの大量の水に浸してじっくり炊くから、ふんわかして粘りもあって美味しいのであって、蒸篭で蒸したってあーた。あたしも一人所帯ですから米も炊きますが、ちょっと水加減が少なくったって芯が残って美味しくないのに、それを蒸すんですからそりゃあパッサパサの、硬いご飯が出来上がりましょう。この硬い蒸したご飯の事を、「強飯(こわいい)」と言った。対して焚く飯を「姫飯(ひめいい)」と呼びました。

 室町の頃に確立されたこの姫飯は、江戸の頃にはすっかり常識、当たり前だのクラッカー。強飯は神事など、特別な儀式の時に出されるのみになり、皆今のような炊いたご飯を食べておりました。

 

 ただし、殿様を除いては。

 

 殿様が、なんだって頑なにそんなまずい飯をせっせと食べていたのかは、よく分かりません。古来のやり方にのっとってと言うことか、それか、神事などにかこつけて、自分を神格化させる為か・・・って神格化ったってねえ。そんなまずい飯もそもそ食ったってタカが知れてるでしょうに、と思うのですが・・・・。

 

 それで、おかずはと。先だって上げたものは随分豪勢でございましたな。朝から刺身、酢の物、焼き物と二膳。って、これが出来立てほやほやならご馳走でしょうが、お毒見役という係りがございまして、これが全品を試食しまして問題が無ければ、運ばれる。と、それでありつけるワケじゃ御座いませんで。そっからご相伴の小姓が更に食べまして、問題が無ければようやく・・・と、料理ってのは何でも、出来立てを食べるから美味しいのに、こんな随分時間の経ったパッサパサなのを召し上がっていたって事は、現代人がタイムスリップして殿様になったなんて日にゃ、とてもツマラナイと、思います。

 

 

 と、言っても、この物語に出てくる殿様は、縄暖簾をくぐってねぎまで一杯・・なんて随分くだけた生活環境が許されていたようで・・・って、これは当然落語のはなし。後世の作り話でございまして、水戸のご老公が全国を漫遊しただの、八代将軍がずいぶん暴れん坊で面白い。なんてのと同じ類の、史実とは全然かけ離れたものだと言うことを皆さんにご理解いただいて、ほなサイナラッ!!