えー、「ねぎまの殿様」と言う江戸落語の紹介をしておりまして。
今回で第三回目となります。前回はこちら。
雪見に馬駆けと洒落込んだ殿様が、上野は池之端仲町にある煮売り酒屋の店先に漂う香りに誘われ。ふと、空腹を思い出し、「それへ案内いたせ」「いえ、あれは下郎どもの集う・・・・。」「よい、苦しゅうない」なんてやり取りを三太夫さんと交わし、さあ店内へ・・・てえところで、あたしの酔いが回っていい塩梅になっちゃって。・・・実にいい加減なモンです。まったく微妙なところで止めたモンですな。中途半端なところで投げちゃうと、次の書き出しが、一等苦労するんだよな。・・・なんともなればその店の中の状況くらい書いてほしかったと、かの日の僕にバトンを渡された今日の僕は思うわけなんですが、しかし今日の僕とて、また一時のもの。ポックリいかない以上は明日には明日の自分が居り、一時の自分は常に之仮の姿也と。また同じ思いの堂々巡りを繰り返すのでしょう・・・ってナイーブかつ出鱈目な口上で茶を濁して幕開けに、され本文と相成るので、って感じで以下。
さて、縄暖簾をくぐり戸を開けると、店の丁稚奉公、小僧さんが「へーい。ミヤシタへご案内」と言う。
殿様。
「む、ミヤシタと申すは、なんじゃ?」
それに丁稚小僧は「大神宮様の下が開いております」と、続ける。「ミヤシタ」ではなく「宮下」ね。宮てのは、お伊勢さん。伊勢神宮のご本尊である天照さんが祭られている・・ってようは神棚の下の席が空いているから、まあ座んなさい事で。世間知らずの殿様は、「おお、これはこれは、大神宮。これにましますか」と、そこで神棚に二礼二拍手一礼。酒場呑み屋でこんな事する人は居りません。
それから。
「誰かある。これ、床机をもて。」
「将棋盤なんてありませんよ」
「わからん奴だな。腰掛けるものだ。」
「そんな物は、ございません。よろしければ其処に醤油ダルがございます。どうぞお掛けなさい」
醤油樽を再利用して、椅子の代わりに使っている。情緒深いじゃありませんか。今日日、・・・あたしは休日の朝、ファミレスに行くことが多いんですよ。読みかけの本を二三冊適当に鞄に入れて。ドリンクバーなんつって、茶は飲みたいだけ飲めるしワイファイが使えるってんで調べものには好都合だと、ついつい長居をしてしまう。随分立派な合成皮の・・まあ立派そうなソファーを使っていて、居心地がいいモンですが。しかし醤油ダルってのもまた良いものです。
「そうか・・」
と、殿様はその醤油ダルに腰を下ろし・・この時三太夫さんは何をしていたんでしょうね。ずっと空気じゃないですか。普通、三太夫が店の者にあれこれ言うようなもんじゃないですか。
しかし、この件。僕がこの噺で一番好きなシーンだったりもします。階級を取っ払ってみな平等だなんて表向きは繕ってる現代社会が良いのか悪いのか、あたしには分かりませんが。しかしこう言ったズレの面白さなんてのは、今日日書けないでしょう。なんともなれば、差別だの何だのと言う向きが、ございますからな。
んで、そもそも、こういった「下郎どもの集う」なんてぇ場所に入ったにしては、丁稚野郎の口上は、随分落ち着いて、いかにも手馴れたモンじゃねえかと。
階級社会ですから、殿様なんぞを見た日には、そりゃあ普通ならキョドってどもったりしそうなもんだが、「床机を持て」「そんなもんありません」みたいなやり取りが、案外スムーズに、実に堂々と出てくる。
・・・・のはなぜか?
と言う疑問が湧き上がるもんですが。調べてみると、こういった事は、色々と有ったみたいです。
いえ、呑み屋、煮売り酒屋に入った例ってのは、分かりませんが、例えば当時は盛んでした漢学。易、儒学なんてので、何処其処の町人に非常に詳しい先生がいると聞くと、身分を隠してお忍びでお弟子入りをする・・とか、士農工商と、こう縦軸の階級社会では歴然と区切られていながら、横軸の文化交流って面ではかなりボーダーレス、いい加減で。
階級社会といってまあ、よく言われます切捨て御免なんてのも、よっぽどよっぽど町人に非が無い限りまかり通らない・・・非常に面倒な手続きが必要だったみたいです。
丁稚も殿がお忍びと、それと知って宮下へご案内する。殿も、まあこれが庶民文化と飲み込んで、醤油だるへ座ると。そうだったんじゃないんでしょうか?それに控える三太夫氏は、じゃあどうしていたかと申しますと、まあ控えていたんでしょうな。
さあ。空腹であると。何を頼もうかといったときに、その、当時のこう言った店にはメニューなんて気の聞いたものは御座いません。冷蔵庫なんてものは当然無く、保存が利きませんから。その日仕入れてみんな売っちまったら御しまい。だから客には丁稚や店主が「出来ますものは・・・」と口上を述べ、「貝柱にあんこう、赤魚、こぶだら、かに、さしみは今日はメジ、おなべのところは、ねぎまで・・・」とずらーっと献立を並べるわけなんですが、今上げたこの献立、これは先に書いた『少年少女名作落語全集』の文をそのまんま引用したのですが、果たして、本当にこんな献立が当時の煮売り酒屋で、売られていたのか?果たして疑問ですな。
いえ、いやな大人になっちまったなって、話しで。
と、さて。閑話休題。
それから・・・
殿様は丁稚小僧の申し上げている献立が、さっぱり聞き取れんのですよ。江戸弁てのは、要するに方言で。こう、つづめて早口だったりしますんで。「出来ますものは」だけがかろうじて聞き取れるくらい。いらいらして、
「何を申しておるのか、わしにはさっぱりわからん」
と、言ったそのときです。店前からぷんとかよった匂いが、また鼻先に。隣の男がなんか旨そうなものを、食べている。なんであろうか?わからん。
わからんが、あれを食べたい。
「よい、となりの町人の食す。これなるものの、ものを」
「へえ、にゃあござんすか」
いえ、にゃあなんて食べ物はないんです。「ねぎま」です。江戸っ子だから舌が回らないし口が早いから、それをべランメイに言って、「にゃあ」と聞こえる。
「では、そのにゃあをもってまいれ」と、殿様が返し、「へいにゃー、イッチョー」と丁稚が啓気づける。
さて、いよいよ出てまいりましたな「ねぎま」。この、「ねぎま」とは何であったのか?という事を理解しないと、この噺は楽しめないんです。 だからちょっと、文字数多めにねんごろに語り聞かせますが。
今日日、どこぞの裏路地にひっそりと灯る赤提灯なんぞに入って、まずビールを掛け付けにと頼んで、ぎゅっと飲み干すてぇと、これ、こう冷たいものを飲んでのショック療法。叩き起こされたみたいに胃がブルブルーって震えて、活性化しますから。何か次にって、当然口が寂しくなるてぇ算段で御座いまして。それで酒菜、アテが欲しくなる。そうなって「大将、ねぎまくれよ」なんて言いますと、「へえ、何本焼きやしょう?」てな返事。んだから適当な本数を言って待ってると出てくるのは、焼き鳥ですよね。
「ねぎま」ってのは、現代社会においては、焼き鳥の事なんですな。葱と葱のあいだ、間に鶏肉が挟まっているからこれを「ねぎま」ともうす由。
しかし江戸時代は違います。あーた、江戸八百八町でそんなこと言うたら、笑われますよ。
「ねぎま」とは、葱と鮪の事なんです。
鮪ってのは、まあイマドキはずいぶん日本人に親しまれて、おかげさまで外国、舶来様のバテレンの、なんだか偉そうな方々から(偏見)あーだーこーだ言われますわね。
曰く
「日本人は、鮪を捕りすぎている。最早絶滅危惧種もすれすれ。あーた達ちょっと遠慮したら?」
みたいな事を。
その辺の事情に関しては、まあ語るべき資料も無いのでよー分かりませんが。確かに今日日、日本人は狂い信者のごとき勢いで世界中の鮪を食べている。・・とは思う。まるでリョコウバト狩りの如く、鮪を狩っている。食っている。故にかつて狂信的に、ある種パンデミックに、ある種の限定的なある種を絶滅させようとした金髪人種の方々は・・・トラウマ。アレルギー反応を・・・・とかはいーわ。そう言った事は、ちょっとここで語るべきことではない。と。。
あー今日も酒を飲みすぎた。
今回は、もっとすごい進んで、多分今回と次回の両二回で噺は万事おしまいと相成る算段であったが、全然進まん進まんかった。良くて半歩か?いや、あの世に聞こえた演歌歌手水前寺清子通称チーターの如く。一歩進むと、何歩下がるんでしたかね?見たいな状況。
ジャンケンポン。「ち、よ、こ、れ、い、と」じゃねーんだぜ。
と、これで終わっちゃっちゃあなんとも言えん尻すぼみ感満載の肩透かし感が満載なので
「水前寺清子の本名は林田民子という。子供の時分非常に成りが小さかったので、小さい民子と、それをもじってチータという愛称がついた。」
なんて昭和テイスト超ど級の、平成の世の皆々様の生活にはまったく役に立たない。如何でもいいウンチクをエラソーに語ってサヨナラサヨナラサヨナラ。